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偏頭痛に包まれたのなら

偏頭痛のおかげでまごうことなき五月病です。

五月病になる理由はあるのですがクリティカルなのは、この偏頭痛です。

5月と6月は季節の変わり目は体調を崩しやすく、梅雨の時期は気圧変動も激しく偏頭痛が一番出やすい時期です。
毎年のように体調を崩して鬱々とした日常を送っているのですが、今年も漏れなく絶望しています。

頭痛で肉体的なダメージが深まるとベッドから抜け出すこともできず、痛みが強過ぎて食事を取ろうという気が失われて、薬の効果で日中に眠気が強く出てしまい長い昼寝をしてしまうため睡眠のサイクルも狂い始めていきます。

生活リズムが崩れると当たり前のように精神も崩れてしまい、五月病となるわけです。

この絶望期を迎えるたびに気が滅入り続けます。

年齢を重ねるごとに身体の耐久値が減っているのか、痛みの強さは増してゆくばかりです。

そこで、今年こそはこの時期を乗り越えようと思い、2月頃から偏頭痛の治療に力を入れてあれやこれやと試してみました。
その結果、3月や4月は偏頭痛がかなり改善されました。
街を歩いているときに思わずマスクの下でずっと笑みが綻んでいる状態だったのですが。

この頭痛の種は根が深かったです。

現金な話ですが、新しい治療薬でお金もそこそこにかけた治療だった為、現実的なダメージもありました。現実的につらいですね。


お金をかけても治らない、痛みはドンドン増していく頭痛に絶望ゲージは上昇していきます。

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この「自分が絶望している時期」は毎年必ずやってくるものなので、いい加減に対策をしていかないと、あと50年も生き続けるのもしんどいなと思いました。

これだけ身体が痛みを抱えていると、すべての刺激が苦痛になってきます。
音楽を聴こうにもすべての音がノイズのように煩く感じます。
画面を見るとスクリーンの光で頭痛が発生します。
食料を買い出すために屋外へ出ることも辛く感じるようになります。
なんとか元気なタイミングで無理やり体を起こしてコンビニへ行くかUber eatsで生きながらえています。

頭痛に支配されている状態だともはや生きている意味がわからなくなってきます。
そんな状態にまで精神が落ちることが増えてきます。

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思えば、子どもの頃から片頭痛を持っていました。
保健室のベッドから見える景色は雨が多かったです。

しかしながら、まだまだ偏頭痛というものが世に知られておらず、自分自身も「なぜか身体がダルくて布団から出れない」という日ばかりでした。
風邪でもない、大きな外傷もない、それでもなぜかつらいときがあるというもどかしい日常でした。

周囲の大人たちも「風邪でもないのに身体が動かない人がいる」ということについて理解がありませんでした。
自分ですら偏頭痛と変わっていないので理解がないのも無理はないのですが、「甘え」だとか「根性がない」とか言われるたびに落ち込んでいきました。

どうしようもない身体のつらさをうまく消化できないし、うまく理解してもらうこともできない。
私は深々とネガティブになりがちでした。

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そうして、「偏頭痛が発生するとネガティブになりがち」というのは、自分自身の固定概念として子どもの頃から脳内に刷り込まれ続けてきました。

何をどうしたって偏頭痛はよくならないし、年々悪化し続けている。
気力は底を尽き始めて怠さを中心に世界が回っていました。


ただ、まぁ、いつまでもこうしていられないという気持ちは眠っています。
落ち続けるとどこまで落ち続けるかわかりません。
いろんな方法を考えて対処はしていかなければなりません。
まだまだ人生が続くのですから、少しずつでも、せめて改善できるように進まなければ。


倒れかけながら手探りで絶望から抜け出す取っ掛かりを模索し始めています。

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ひとつ、やってみようと思うことがありました。

それは、「偏頭痛が発生するとネガティブになりがち」という固定観念を取り除いていくことです。

先日、相変わらずの偏頭痛に苦しみながら悩み散らかしている最中に、ふと「痛みがあるからといってネガティブになる必要はないよな」と思うことがありました。

子どもの頃から思い込み続けているこの思考を取り除けば、少しは体調がよくなっていくのではないだろうか。

頭が痛いときも「気分は落ち込ませる必要はない」と思うようにしています。

痛みは痛いですし無理をしても余計に拗らせるだけなのでなかなか難しいですが、偏頭痛を改善しようと思わないよりはマシかなと感じています。



偏頭痛の治療法と薬も増えてきているので、これからの医学発展に期待しつつ、粛々とこの痛みを抱えて生きていこうと思っています。


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