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「片頭痛があってよかった」と思える日を呼び込む為に。

あぁ、もうこの身体で生きていくのはしんどいな。諦めたいな。
時計の短針が刻む音と共にひたすらに落ちていく思考はさらに深みへ落ちていく。

夜が明けて街に薄ぼんやりと光が落ちていく頃、ようやく僕は眠りにつく。
当然、その眠りは浅いもので、1時間30分を目安に起きたくもないのに目が醒める。

十分に睡眠時間を得られていない身体には今日も重苦しい片頭痛が残っている。
この身体をなんとかベッドから引き起こせる日は社会人の服に着替えて街へと歩み出す。
起き上がれない日は枕元の社用携帯から連絡して遅刻、もしくは欠勤する旨を伝える。

幸い、体調不良に理解がある会社なので融通は効かせてくれるのだが、自分自身の仕事は遅れるし自分のパフォーマンスを十分に発揮できない体調という時点で腹立たしい。

いつまでこの偏頭痛と付き合っていかなければならないのか。
死ぬまで片頭痛に悩まされ続けるのだろうか。

2年ほど通院を続けている脳神経外科の先生いわく、「〇〇さんの片頭痛は現代の医療だと感知することはない、対処療法で痛みを抑える方法しかない。」という結論になっている。

この事実を突きつけられたときは、半年ぐらいほど心が落ち続けていた。
この頭痛を持ったまま、仕事をして、プライベートの交流をもって、いろいろなストレスを受けて。
精神的にも落ち込み続けてしまい相当苦しい時期となってしまった。

落ちているときの具体的なエピソードもあるが、そこはお恥ずかしいので割愛するとして。

この泥沼状態からなんとか浮上するきっかけとなったのは子どもの頃から付き合いがある親友にひたすら話を付き合ってもらったおかげだった。

最初は親友にネガティブな思いを純度高めに伝えてしまっていた。

「どうしてこの身体で生きていかねばならぬのか?どうしようもない。段々と諦めたくなってくる。常に頭痛があるせいで何も楽しむことができない。」

それはもうネガティブに落ちていた時期の言葉は見るに堪えないものだっただろう。

が、そこからゆっくりと僕の思考を読み取って修正をしてくれた。時間をかけて話に付き合ってくれた。

「頭が痛いからといってネガティブに落ちる必要はない。頭痛は治らないかもしれないけどせめて気持ちは前を向かせよう。そうしないと治る可能性はなくなってしまうと思う。あなたはこの身体と一生付き合っていかなければならないのだから、自分のペースで生き方を見つけていこうね。」

徐々に、徐々にではあるが僕の思考はバランスを取り戻しつつある。
ありがとうございます、親友。

この偏頭痛とは付き合っていかなければならない。
その上で、どうやっていきていくか。

これは、僕にとって死ぬまでのテーマとなるだろう。

もうこの偏頭痛に数十年悩まされている。
いい加減に片頭痛にも腹が立ってきた。

ならば、なんとかこの偏頭痛を前向きに捉えることができないか。
そんな思いが沸々と湧き上がってきた。

偏頭痛のせいで人生を制限されるのは飽きた。
偏頭痛のおかげで楽しく面白いことをやりたい。

オフ会をやるのか、片頭痛仲間と知り合うのか、片頭痛小説を書いて世に発信するのか、片頭痛系YouTuberをやるのか。

具体的にどのようなことをやるかは未知数だが。


僕が生きている間に「片頭痛があってよかった」と思える日が来るように、頑張りたい。

それが、僕の夢だ。



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