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平和教育について考えたこと〜anagonの日記 8/15〜

はじめに

昨日寝まくったので、割と今日は動きました。しばらくは動ける気がします。


①今日あったこと

・ギター弦張り替えた
・部屋の掃除した
・売れるものを売りに行った
・おじさんとおばさんとたくさん話した
・おじさんとお酒買いに行って飲んだ
・無人島MT

1万円分くらい売れるかなって思ったら6000円くらいで、まあそんなもんだよなっておもいました。


②今日思ったこと

1.平和教育について思うことの話


今日は終戦の日。
空襲にも怯えず、貧しくもなく過ごせていることに改めて感謝してます。

そんな今日を過ごして、この日記を書こうと思った時に、

ふと今まで自分が受けた平和教育について考えました。


先に言っておくと、教育って自分が受けて来た教育でいくらでも現行の教育制度や指導内容とかについて批判できるので、

これはあくまで個人的に平和教育について思うことを書いてます。

僕が受けてた頃とは今は違うだろうし、地域差もあると思います。
今どんな感じかも大して調べてないで書いてるので、
不愉快な気持ちになられた方には申し訳ない。


ということで書いていきます。

広島や長崎や沖縄のように、歴史に残るような大きな被害を受けた地域ではないからか、

小中高通しても、多分平和教育と呼べるものを受けた経験は2,3度程度でした。

そして振り返るとそれは僕の個人的な感想だけれど、少し過度な被害者意識と加害者意識を僕に根付かせるものだったような気がしています。

もちろん、日本が受けた苦痛も知るべきだし、逆に日本が諸外国に与えた苦痛も知るべきだと思います。


ただ、それ以上の話がなかった。


「じゃぁ平和ってどうしたらできるんだろうね」
「平和ってなんだろうね」
「平和な世の中ってどんな感じなんだろうね」

そんな問いが投げられたことは多分なかった気がします。

事実を知り、反省をしたその先で僕らは何をすべきなのか、していけばいいのか

そこを根付かせるような仕組みが、少なくとも僕が受けた平和教育にはなかったような気がします。


平和教育は、学校だけで行われるものではないはずで、地域家庭を含めて行われるのが理想だと思うし、

もっと個人的な考えを述べるとしたら、さまざまなバックグラウンドを持つ子どもが増えている今だからこそ、日本人の視点だけでなく、色んな国からの視点を持てる状態で展開されるべきだと思ってます。


どれだけ被害を受けたか、どれだけ被害を与えたかは事実と知るべきで、過度な被害者意識加害者意識を植え付けるものになってはならない。

そこから、平和の創造への小さくても具体的な手段であったり、

戦争だけではなくて、平和そのものへの批判的な問いを作り出す教育がされたなら、もしくは今広まっているのなら、いいなぁと思います。


主体的・対話的で深い学びの視点が、平和教育にも根ざしてきていることを願ってます。

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