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「今昔物語集」 源頼信 (2)

今昔物語の巻二十五には、源頼信の話が三つありますが、ある種恐ろしいのが平貞道が出てくる話です。はたして「侍の心構え」「自負」とはどのようなところにあるのか、考えさせられる話です。

平貞道は相模国碓氷の出身で、碓氷貞道とも呼ばれ、源頼光の郎党として仕えていました。渡辺綱を筆頭に、源頼光四天王といわれた武士の一人です。あと二人は平(卜部)季武、坂田金時で、平季武は巻の二十七、「産女にあひし語」に出てきます。坂田金時は巻の二十八「紫野見物の語」に貞道、季武とともに出てきます。



頼光の屋敷で酒宴が催された。多くの客が訪れた盛大な会だった。その夜のこと、渡辺綱の姿を認めた貞道は酌み交わそうと徳利を持って近寄って行った。「貞道」と呼ばわる大音声で足を止められた。振り返ってみると、頼信が厳しい表情で立っている。「駿河国の何某という者は、この頼信に無礼をはたらいた。そ奴の素っ首をとってもってこい。」
困ったのは貞道だ。大勢の客の前で穏やかならぬ話である。仕えているのは頼光公だ。その弟君である頼信殿には正式なご挨拶もしてない。それなのにこのような大事を衆人の前で言うとは戸惑うばかりである。自分の一大事は腹心のものにだけに人目を避けて呼び出し申しつけるのがやり方だ。
貞道は承服できなかった。人の多い中で人の首をとる話をするとは、酔っていたのであろうか。馬鹿なことをおっしゃる人だと思ったので、返事もしないでこの話は終わってしまった。

その後三四月ほど過ぎたころ、頼光公から書状を駿河国の介に届ける役目を仰せつかった。駿河国には東大寺の荘園がある。要事だということで貞道の任務となった。駿河国へ行けと言われて考えたのは、どの道を通ろうかということだった。頼信が宴の席で言ったことは戯言で心にとどめる余地はなかった。雨が多い季節に入っていた。揖斐川、長良川、木曽川の下流は足止めを食うかもしれない。伊賀から伊勢へ出て海を渡れば確実だ。馬は渡し場で預け、向こうに渡れば借り馬だ。
貞道は不二の白嶺を前方に見ながらのんびりと馬に揺られてやって来た。天竜川、大井川、安倍川を順に渡って国府に着いた。
ところがここで、どういうことか頼信の話した「駿河の何某」に出会うことになった。「用事は終えましたかな。」と話しかけてきたのだ。駿河の介が名を教えてくれた。彼もまた国府に用事があったようだ。帰京という段になって途中まで轡を並べた。
黒松林と白い砂浜を和やかな雰囲気で話が進み、さあ別れようというときだった。男が慎重な口調で尋ねてきた。
「頼信公がお言いつけになった例の事はいかがなりました。」
間が空いて、貞道は思い出すように言った。
「そういえばそのような事もござった。しかし、なるもならないも自分は兄君の頼光公に仕える者で、頼信公に出仕した事はない。酒宴の席で多くの者が聞いていて、理由もなくあのような事をおっしゃるので『おかしなことだ。』と終わってしまいました。」
と笑って答えると、男の表情には喜色が浮かび上がってきた。
「実は、京より知らせがあって、もしや頼信公の命令を受けたのではないかと、今日も心配でいられない心持ちでしたが、関わりが無いとお思いになっていたとは、嬉しい限りです。これで安心できます。」
次第に口が軽くなって行った。
「ただ、わたしどもくらいになりますと、いかに頼信公といえども心に任せて思うがままにはなかなかできますまい。」
と笑いながら言った。
聞いていた貞道は次第に言葉少なくなり眉間に皺がうかびあがった。
この男は思い違いをしている。わたしが頼信公の命令を拒んだからといって、譴責が解けたわけではない。何も変わってない。恐れるべきなのに、嬉しそうに今日から安心できるなどと、そっくり返って笑っている。大口を叩くわりには調度も馬も弛んでいるように見える。
ここに至って貞道も思い至った。
この男はわかっておらぬのだ。直ぐにでも首を取るのなら配下でないわたしに命令する道理はない。直属のものに下命すれば済む。宴席で公言したことは、頼信公の配慮だったのだ。駿河の何某の耳に必ず入るだろう。どう振る舞うか考える猶予を与えたのだ。こやつは直ぐに詫び状を差し出すべきであった。呆れかえるほどの鈍さ。ふつふつと怒りがこみあげてきた。
酒宴の席でわたしに公言なさったのもまた本気だったのだ。このたびの駿河行きも頼信の意が入っているに違いない。なんということだ。貞道は決然とした。こやつを射殺して首をとり頼信公にさしだそう。
男の後ろ姿が見えなくなると貞道は郎党どもに男の首をとる旨を伝えた。馬の腹帯をしっかりと締め弓を構えてとって返した。
安堵してすっかり遊山気分だ。先ほど談笑して別れたの貞道に、首を狙われるとは思いもよらなかっただろう。一段もニ段も劣った馬に乗り、逃げるも迎え撃つもできず呆気なく射殺されてしまった。落馬して引きずられる主人を見て、彼の郎党達も浮き足立って反撃もままならなかった。射られるものは射られ、逃げるものは散り散りに逃げてしまう有様だった。
貞道は男の首を得て上京して頼信公に持って行った。頼信は喜び良い馬と鞍を褒美として貞道に与えた。
その後貞道が人に語ったところによると、「かの男、何事もなく無事に済ませたはずなのに、不用意なひと言を口にしたばかりに矢を射られて命を失うことになった。頼信公が男のことを見過ごすことができないと思われたのはこのようなところにあるのだろう。」
この話を聞いた人は源頼信を益々恐れたということだ。


#古典が好き

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