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出産した話

先日、こどもを産んだ。

最近のSNS(とくにX)は殺伐としているので無事産まれるまでは黙っていようと、妊娠が判った時に決めた。
インターネット歴はそれなりに長いので多少のご意見や揶揄にはすっかり耐性がついているが、こと妊娠に関しては私自身初めての経験であり心身不安定になることが目に見えていたのでその状況を丸腰で晒す勇気はなかった。何か言えばすぐ「出た、マタニティハイだ」と言われるのは地獄である。
確かに私生活を切り売りしてこういった文章を書いてはいるもののインフルエンサーとして生計を立てているわけでもないので、前回の離婚同様に好きなタイミングでnoteに書こうと思っていた。

長々前置きしてしまったが、妊娠〜出産についての話をこのnoteではしたいと思う。
(よくある「出産レポ」のようなものではないのでふんわり読んでほしい)

これまで子供を望んでいたかどうかはこちらのnoteに書いているが、まとめると私の人生においてマストだとは思っていないがその後夫になった彼の遺伝子は残るべきだと考えていて、欲しいと思ったタイミングでチャンスがあれば、というスタンスだった。

妊娠していると知った時、迷いや動揺が全くなかったといえば嘘になるが、産むという決断をしたのは一方的ではあるがこういった彼への気持ちがあったからだ。


長い妊娠期間、SNSでよく流れてくるような壮絶な悪阻や夫婦の不仲、夫の不理解に憤ることもなく、日に日に大きくなるお腹を2人で眺めては来たる日を緊張しながら待っていた。
もちろん体調が悪い日もあったし、メンタルが不安定になり夫にぶつけてしまったり泣いてしまうこともあったが、それでもできる限り2人で楽しめることをする努力を私だけでなく夫も全力でしてくれたので、想像よりもはるかに幸福な妊婦生活だった。

結婚するつもりで同棲を決めて物件を見つけ、夫の実家へご挨拶に伺う日程を決めたタイミングで妊娠が判ったので同棲、入籍、妊娠、出産という大きなイベントを短期間に詰め込んでしまうことになったが、今振り返ってもほぼ全ての瞬間が幸せな思い出だ。

妊娠期間は比較的元気に楽しく過ごせていたが、出産はそうもいかなかった。

無痛分娩を行っている総合病院を選び、できる限りの苦痛とこれまでの人生の中でずっと出産に対して抱いていたとてつもない恐怖を取り除きながら万全の状態で産みたいと思っていたが、出産には結局2日かかり、帝王切開になった。

ずっと陣痛を一緒に待ってくれた夫と離れてドラマでみるような無機質でだだっ広いオペ室に運ばれ、執刀医や麻酔科医、オペ室の看護師、これまで診てくれていた産科の先生に囲まれた時は本当に生きた心地がしなかった。

麻酔でみぞおちから下の感覚は消えているが意識はある。麻酔科医の先生が枕元でずっと声をかけ励ましてくれたり会話したりもしたが、時折感じる胸の圧迫感や不快感は恐怖でしかなかった。

少し朦朧とする中産声が聞こえ、緊迫感溢れていたその場の全員が「おめでとうございます」と声をかけてくれたことに感極まり、こどもが無事この世に出て来たことに安堵し涙が出た。
これまでの人生で味わったことのない種類の感動で、今でもこの場面を思い出すだけで込み上げてくるものがある。

「産まれたばかりの子供は猿みたいでそんなに可愛くないよ」と何人かに言われてまぁそうだよなと思っていたので、手術台の上で肩に乗せてもらい初めて対面する我が子は想像よりも遥かに人間らしくて可愛くて驚いてしまった。

「かわいい。はじめまして。」
と言ってまた泣いた。

こんな大変なことを世の女性はやってきたのか。
出産に対してはこれが素直な感想である。


病院の授乳室は神聖な場所だった。
皆等しくズタボロの身体を引きずり、誰も自分の見た目を気にする余裕など一切ない。
自我もあらゆる欲も消えた母親たちがひたすら我が子がよくミルクを飲むことを願っている。
祈りの場所だと思った。

私はいわゆる「子持ち様」になってしまった。
これから私自身がどう変化するのか、楽しみでもあるが、怖い。
しかし子持ち様と言われようが何と言われようが、あの静かな祈りの場に私自身も母親として身を置けたことは価値のある経験だった。

一生忘れられない思い出がまた増えた。


***

こどものことだけでなく今後またポツポツと書いていこうと思いますので、また読んでください。

では、また。


お読み頂きありがとうございます。最近またポツポツとnoteを上げています。みなさまのサポートが私のモチベーションとなり、コーヒー代になり、またnoteが増えるかもしれません。