見出し画像

辛味 -後編-

前回までのあらすじ
自身の辛味克服のため友人とともに激辛麻婆豆腐に挑まんと意気込む
筆者だったが中華屋で彼に待ち受けていたのはあまりに残酷な結末だった

ああ
終わった。

俺はきっと

ここで死ぬだろう。


最初に「それ」を見たとき、あまりの熱気と赤黒さに土鍋にマグマが盛りつけられているのかと本気で思った。どろりとした餡は冗談のようにぼこぼこと煮え立っている。何だこれ。洒落になってないぞ。この中華料理屋はシェフに海軍大将赤犬を雇っているのか?異様な熱気に目をすぼめながらよく見ると、煮え立つ「それ」が麻婆豆腐であることが分かった。たしかに見た目こそ領域展開「蓋棺鉄囲山」を無理矢理料理にしたかのようだったが鼻腔をくすぐる香気はまさしく本格中華、麻婆豆腐の本場である四川省の光景が目に浮かぶかのようだった。

画像1

…成程ね。友人が僕に覚悟を問うたのもうなずける。これに比べたら今まで僕が食べてきた市販の麻婆豆腐など児戯に等しい。あまりの見た目に先ほどまでの決意は砕け散りかけたが食欲をそそる匂いで何とか持ち直した。このまま黙っていても埒が明かない。冷めてしまったら折角の麻婆が台無しだ。「賞味期限は熱いうち」という有名なフレーズもある。意を決して口に麻婆を放り込んだ。

そして
咀嚼。一瞬、沈黙。


…………────────────────────


画像3

天井

記憶が飛び、気が付くと病院のベッドの上だった。どうしてか指一本動かせない。
「あれ…なんで…」
「目が覚めたようだな」
「!?」
横になったまま傍らに目をやると友人が椅子に座って神妙な顔で僕を見ていた。何が何だかさっぱりわからない。確かに僕はさっきまで中華屋にいたはずだ。
「何も覚えていないのか?」
友人から聞いた話によると、どうやら僕は中華屋で麻婆豆腐を口にした直後に泡を吹いて倒れ、そのまま病院に搬送されたそうだ。お医者さん曰く、件の麻婆に含有されていた唐辛子の量は僕の肉体の辛味限界値をはるかに上回るもので、一時は本当に命も危なかったらしい。んなアホな。峠をさ迷うほどの辛さって漫画の中でしか聞かないレベルじゃないか。馬鹿馬鹿しいや、と一笑に付したい気分だったが口内に確かに残る唐辛子の刺激が友人の話に真実味を帯びさせていた。
その後のリハビリは過酷なものだった。一か月以上食事は流動食のみで徹底され、辛いものは言わずもがな、過度に甘いもの、酸っぱいもの、しょっぱいもの、苦いもの、舌への負担になるものはすべて禁じられた。僕の口内を破壊しつくした麻婆豆腐は全身に影響を及ぼし二週間ほどは手足の痺れが解けず、歩くことはおろかものを持つことさえままならなかった。

リハビリを終え退院するころにはもう枯葉が散る季節だった。
「お世話になりました、先生」
「これに懲りたらもう無茶はしないでくださいね」
病院を後にすると並木道で例の友人が待ってくれていた。病院にいる間にも何度謝られたかわからなかったが今回もやはり責任を感じてか彼は僕に謝ってきた。
しかし僕としてはむしろ彼に感謝していた。身の程を知った、というほどでもないが人には得手不得手、「役割」というものがあるのだと、今回の件で痛いほどわかった。(実際痛かった)
何も無理して辛いものを克服しようとするはなかった。第一彼が警告をくれたというのに強行突破しようとしたのは他ならぬ僕だ。謝らねばならないのはむしろ僕の方じゃないか。お詫びのしるしとして快気祝いのラーメンを二人で食べに行った。

退院からしばらくして家の食卓に麻婆豆腐が出てきた。何の変哲もない、普通においしい普通の市販の麻婆豆腐…。残さず食べたがどこか味気なかったのも確かだ。

─fin─

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?