明日、君を見据えて

明日、君を見据えて

森野杏樹(果樹)

「好きなタイプは?」「今までどんな恋愛をした?」
最近、雑誌のインタビューで聞かれることが増えた。高校生の時はそんなことなかったけど。大人になったのかな。こんな所で自覚なんかしたくなかった。髪が綺麗な、まるであの子みたいに。思い浮かべて、やめる。ゆるりと笑って、笑顔が可愛い人が好きかな、なんて当たり障りのない言葉を返す。誰も不幸にしたくないから。
世界はとても繊細で私の一言で世界が滅亡しちゃったみたいに感じる人もいるのだ。困ったものだけど。

叶うことがない、叶わない、叶えてはいけない、叶えるつもりもない。付き合いたいとかそういう即物的な感情とは違う。でも、紛れもなく恋だったと思う。そんな恋愛だった。別に、失恋っぽい失恋をしたわけではないけど。告白だってしてないもの。でも、それをえらんだのは私だから、だから、失恋なんて言葉はおこがましいのかもね。なんて思う。ねえ、と語りかけてしまう。思い出の中にしかいない彼女に。あの街は、もう桜が咲くだろう。ここよりも暖かいから。
 「最後の音、一音、低かったよ。」
そうやってぎこちなく笑って彼女は私を送り出した。泣かない、二人で決めた、わけではないけど。暗黙の了解。私も、明日歌うから気をつけなきゃね、とおどけていった。音楽室特有のこもった匂いが思い出にこびりついている。外してたことくらい気づくよ、ばか。ひしゃげた喉がいうことを聞かなかったの。ねえ、行きたくないよ。あなたといたいの。言い出せない願いが胸を埋める。でも、それ以上に、私には叶えたい夢があって。それは多分、こんな中途半端な思いよりもずっと大切で。それに何より、わかってしまった。最初の作品で。ああ、私はここで生きていくのだという確信。逃げられないなあ。何かを得るということは何かを捨てることなのだ。と誰か偉い人が言っていた。捨てたくなんかなくても、選択の余地はなくて。私は彼女への思いと一緒に、潮のかおる坂の多いあの街を捨てたのだ。
 
「ねえ、今度、この街でロケなんだけど。」
マネージャーがすっと企画書を差し出す。何度も見た、何度も書いた地名が紙面に躍る。ひゅ、と息が鳴る。ずっと知っている人だから、私の言葉を待ってくれる。そういうところは本当に信頼している。「凱旋」「地元」「高校」感傷に浸りがちな言葉が並ぶ。もう出てから七年だ。十七の年に捨てて、そこからもう二十四になった。こういう企画が出てきてもおかしくない。そんな歳だ。
「どうするかは、すぐじゃなくていいから。」
そういってぱたん、とファイルを閉じる。かさり、と目の前のテーブルに置かれた。とりあえず、今日のスケジュールをこなさないとね。言葉が続く。今日は雑誌の撮影と、ライブの打ち合わせ。それからテレビの撮影。切り替えなきゃ、と席を立つ。あの街の潮の音が聞こえた気がした。

 パシャパシャと鳴るシャッター音の中で思い出が見え隠れする。調律まだかなあ。と顔をしかめた君の顔。歌い始めの時に、目が合うあの瞬間。夕焼けに染まる帰り道。桜の花びらが埋める通学路。断片的に、けれど鮮やかなその思い出の中には全部彼女がいた。黒い髪の毛が揺れる。長かったり、短かったり、長さは時期によってまちまちで。でも、ずっとすっとした手触りの柔らかすぎない真っ直ぐな髪なのは変わらなくて。懐かしくなった。もう何年も会っていない。同窓会もずっと欠席している。
 「OKです。」
声が聞こえてふう、と息をつく。一礼して、お疲れ様です、とかえす。視線をカメラから手元に戻す。それから、周りを見渡す。風景が戻ってくる。
「久しぶり。」
馴染みのメイクさんに声をかけられる。
「お久しぶりです。」
「今度のロケ、地元なんでしょ。」
驚いた。もう知られているのか。
「もうその話まわってるんですか。」
「結構前から企画されてたらしいよ。」
「そうなんですか。」
はあ、とため息をつく。私の運営周りはそういうところがある。感覚が知っている。断れないやつだ。多分。泣いて喚けばそんなことはないけど、多分私はそんなことはしない。
「もう随分と帰っていないでしょう。」
「そうですね。」
上京してからは一度も帰っていないはずだった。
彼女も上京しているのは知っているから地元にいるわけではないだろう。だから会う心配はないのだろうけど。
こっちで会う分には、大丈夫。東京にいる私は、職業としての「私」だから。「私」を崩さないでいられる。にこやかに、タイプの人は笑顔が可愛い人です、って言える。
 帰らないように、していた。戻ってしまうのが怖いから。そして、戻ってしまわないようにしたら私を本当に殺してしまいそうだから。捨ててきたはずなのに、捨ててきたのに。どこかで「あの頃」に未だすがり続ける自分を見つけてしまうのが怖いのだ。あの潮風のかおる町は、良くも悪くも故郷だから。きっとテレビとしては「思い出に浸る『私』」を見たいのだと思うのだけど。それは、こちらにいる「私」ではないような、「私」のメッキが剥がれてしまうようでどうにも不安だった。
「あまり、乗り気ではない?」
メイクの彼女は言った。意外とわかりやすいよねえ、と笑う。そういうところも可愛いけど、なんてお世辞を付け加えて。なんとなく、私は笑みを浮かべる。可愛いは否定も肯定もしてはいけなかった。この世界で身につけた癖みたいなもの。
「結構いるよ。こういう企画嫌がる人。素が出そうだからって。」
図星?と問われるとどうにも頷いてしまう。あはは、と軽やかに笑い飛ばされる。
「大丈夫、作りあげられた『貴方』もちゃんと『貴方』だから。本物はどこにもいかないよ。覆い隠すものはあっても、絶対、なくならないから。大丈夫。」
優しく、強く、彼女は言った。
「それに、見つめなおすのが怖くても、案外大したことなかったりするよ。思い出は肥大するほど怖いものになりがち。」
笑って彼女は付け加えた。こっちの方が本命かな?そうも言った。彼女は「私」のことをよくわかっている。
「大きくなりすぎる前に、消化しておいで。」
彼女に笑いかけられるとどうにもほだされてしまうなあ、と思う。こんな移り変わりの早い世界でもう数年一緒にいるのが珍しいから、だけのような気もするし、そうじゃないような気もする。
 舞、遠くから名前を呼ぶ声がする。ここだけは変えなかった。小さい頃からずっと私の名前だ。
「今行きます。」
声を張る。この後はライブの打ち合わせと、テレビの撮影。振り返って、歩み出す。私の心は決まっていた。撮影の時にはきっと、葉桜が道を埋めている。

ーーーーーー2020.12.11 「百合SS Advent Calendar 2020

寄稿させていただきます。「1音下げて、春」の彼女のお話です。
いざ書こうと思うと難しいですね。

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