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寝る前のメモ。


近所に横穴式石室が複数あると聞き、それだけでなんだか嬉しくなった。その頃から人の営みがある場所だったのかと、昔の生活に思考を巡らせたくなる。そのほかにも、近所では円山応挙や石田梅岩が生まれていたり、明智の戻り岩があったりと、層の積み重なりも確かに感じている。

ただ、そういった歴史と地続きのものが明確にあるわけではないので(角倉了以が開削した保津峡と保津川下り、明智光秀が楚を築いた丹波亀山城下町を除いて)、それを知ったところで現在地とのつながりは感じられないというのが、まちの人たちの本音だと思う。

私はたまたま土地にゆかりのある名字で、家系図こそ残っていないものの(分家の分家の端っこの端っこの・・・)、15代つづくお家の方に聞くと一族の生まれはどうやら東北らしい。少し前の京都新聞によると、「並河(なびか)」は、明智光秀が丹波責めの際に頼りにした国衆の一族でもあった模様。だからどうしたと言われたら、なんの役にも立たないのだけれど、自分のルーツを知っていくのはおもしろい。

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地元に関わる仕事をはじめて6年目。

ここ1、2年は観光分野にも関わりが広がり、地形や息づかいからこうした土地固有の「特別さ」を探そうとしてきたけれど、観光における「特別」な時間や体験は、誰と過ごすかで大いに変わるものでもある。そんな当たり前のことを、しばらく忘れてしまっていたようで。

もちろん、土地を掘り下げることで見つかる何かもあるのだけれど(趣味としての探究はまだまだつづくし、地続きの共有項は見つけたい)、時間や体験においては、もう少し視野を広げてみるのも良いかもしれないな。


亀岡(旧亀山)の地名の由来は諸説あるけれど、解明したいというよりは、“こうかもしれない”と想像するプロセスそのものが楽しい。

もし、円山応挙の画風について霧や風土が大いに影響していたとしたら?足利尊氏や明智光秀は京都市(=都・メインストリーム)から山を隔てた場所で何を思ったのか?などなど、なるべく史実をベースに基本を組み立てながらも、最後は個人の解釈に委ねるおもしろさがある。

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昨日今日と、諸々の打ち合わせを経て、いい仕事していきたいよね、と改めて思う。そう思うときは、だいたい悔しさからくるのだけれど(あるいは、いい熱量の方と出会えたとき)、つべこべ考えずに今は手足を動かそう。


じゃあ、私にとってのいい仕事って?好奇心が刺激される仕事?高い収入が得られる仕事?新しい概念やムーブメントをつくること?ということも同時に考えていかないといけないのだけれど、①シビックプライドを育むことと、②地元でクリエイティブな仕事・環境をつくることが直近の目標ではあるよね。今年大学生になった彼女が、地元で働きたくなる会社 or 社会をつくる。

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