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政治のこととか。


むずかしいことを語ろうとは思わないけれど、あたまの中を整理するために、今日は政治の話ができたらと思う。参議院議員選挙も近いしね。

「政治」ということばを耳にした時、正直 “遠いな” と感じてしまう自分がいる。政治というものが、どこか遠くにいる政治家たちのもののように感じられ、自分たちの暮らしとは交わらないような気さえする。

きれいに言ってしまえば、政治とは本来「社会」をよりよくしていくためのもので、社会の中に位置付けられるものだったのではないかと思うけれど、私たちが生きている現代社会と政治の結びつきを考えることは、簡単なことではないように思う。それが国政であればなおさらそう。


では、「政治」とは一体、だれのものなのか。

その答えは明白で、「私たち」のもの。


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政治や社会について、外の国の人たちと話すことで、当時わたしが抱えていた日本に対する違和感を吐き出すことができたのだけれど、なぜその議論を日本国内の友だちとはではできなかったんだろう。

もちろん、そのテーマに対して、わたしの理解が深まっていなかった部分はあるのだけれど、それをテーマに話すことがどこかタブーのように思えて、あるいは、友だちの興味に沿わないことを知っていたから話せなかったんだと思う。

大学の学部柄、そういうことに興味のある人たちが集まっていたのは事実だけれど、ゼミ以外でそういう話はしていなかったんじゃないかな。でも、ゼミのメンバーは「社会課題」の解決方法を考えたり、話したりすることが好きだったと思う。

(でも、大学にいながら、社会について話すことが一般的ではないという状況だったということは、大学ってなんなんだろうね。笑)


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何年か前の調査で、日本の若い世代は「将来に対して希望がもてない」と感じる人が多いというデータを見かけた気がするのだけれど、希望がもてないのに行動を変えないのは、その状態でもそれなりに生きていけるからなんじゃないかと思っていて。日本国内に生きていて、生命の危険を感じることはそうそうないもんね。


それから、私たちの世代は「考える」よりも「覚える」ということに重点を置いた教育を受けてきた、というのも関係があるのかもしれない。(そこは意図していなかったかもしれないけれど、結果としそうなっていることは事実で)

学習指導要領に従った先生に教えてもらった情報を そのままあたまに詰め込み、「歴史上でなぜその出来事が起こったか」という背景に触れるのはほんの一瞬。「社会科」なんて、ずっと暗記科目だと思っていたから。

学びのあり方が受け身だったことで、自発的になにかを考えたり、表現したりするチカラが身についていないように思う。(と自分自身も感じる)

授業中に手をあげて質問することですら、上手にできなかったもんね。


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話は逸れて・散らかりまくっているし、各パートが断片的でしかないけれど(もう少し深く考えないといけないな)、そういったいくつかの要因から、政治や未来に希望をもちづらい・若者の投票率があがらない社会が形成されていると思う。

わたしは、わたしのために投票にいく。自分の意思をちゃんと票に投じないと、なんにも変わらないから。



地方自治体や自治会の規模感だったら、もっと身近に感じやすいのにね。

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