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きょうのメモ。


カメムシを恐れずに窓を全開にして掃除をする。この文章を書いている今も、部屋のどこかに奴が潜んでいる(臭いがする)のだけれど、後悔はない。

本棚の整理をはじめると、小学校6年生(だったか)の誕生日に、祖母がくれた千と千尋の絵コンテ集を見つけた。ずっとそこにあったはずなのに、今日はなんだか吸い寄せられるような感覚があった。

今となってはもう、祖母がなぜこれを私にくれたのか知る方法もないけれど、絵コンテを見て心が震えた経験は、きっといつかに活かせる気がするんだな。ストップモーションかアニメーションの映画づくりは、ご隠居になったいつかにチャレンジしてみたい。

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きょうは本当に天気がよくて、思いのほか減ってしまったHPがみるみる回復していくような日だった。自転車で走るだけでエネルギーが湧いてくる。それから、いつもの皆さんに会ってホッとして、居心地がよくてついつい長居。おかげさまで、いいお買い物もできました。

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日々のなかに、ひと呼吸をする時間があればいまは十分。

身体を壊しては元も子もないので決して無理はしないけれど、ずっと望んでいた環境に身を置けるのなら多少前のめりになるのは仕方がないよね。いっぱい働いて、すこし余分にお小遣いも稼いで、半年後にホリデイがとれるのであれば、全然いい。

毎月自分に贈るご褒日と、日々の小さなたのしみと。

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先日、あるテーマについて自分で話しておきながら真面目すぎて呆れてしまったのだけど、やっぱりそれがわたしの好奇心を満たしてくれるもので、いちばんの動きたい動機になっているのなら、それでもいいのではないかと思う。自分の好奇心を満たすこと、それを証明することで生きていると感じるらしい。

なにかを排除するわけではなく、どちらかといえば余分なものを削ぎ落としていく感覚。どんどん自分の思考がシンプルになってきたと思う。まだすこしの複雑さはあるけれど、ようやく。ようやくね。

流石に、目の前のことだけに集中できるほどのシンプルさは持ち合わせていないけれど、いろんな物事・人との関わりは切っても切れないのだから(そういうポジションにいることが多いので)、関わりのなかでシンプルにしていく道を探していけるといいんだろうな。

私はきっと、この先もずっと、社会性を失うことだけはできない。社会とのつながりを感じることで、社会に必要とされることで、自分の存在意義を見出してしまうから。



11月になったので、ひさしぶりに、思うがままにノートに文字を書きなぐってみたら、荒々しくてちょっと笑ってしまった。そんなに力まなくても文字は書けるはずなのに、生き急ぐようにペンを走らせて。

そのくらい怒涛の日々だったのかもしれないな、とすこし反省しているようであまり反省していません。

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