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地上波消滅への危機感 Football がライフワーク Vol.9

時代の趨勢が、いよいよ「絶対に負けられない戦い」にまで波及した。今月から、来年に迫ったW杯カタール大会のアジア最終予選が始まったが、全試合の中継を網羅するのはDAZNのみとなり、アウェーの試合は地上波放送が消滅した。プレーオフの末に初出場を決めたフランス大会と予選が免除された日韓大会以降、日本が突破した4度の最終予選を振り返ると、最近2度はホームで本大会出場が決定しているのだが、全てに共通しているのは最終節を待たなかったことで、4分の3は最終節の一つ前の試合で決している。最終節の一つ前、今回はそれがアウェーのオーストラリア戦だ。出場決定、その歓喜の模様が地上波で放送されない可能性もあることで、わが国でフットボールの「アングラ化」がいっそう加速しかねない事態になった。ここしばらく、フットボールの地上波放送に関しては前向きな話題が見当たらない。およそ1年前には、18年半にわたり放送されてきた「やべっちFC」も最終回を迎えた。近年、メディアの中心はテレビという放送からネットやスクリーミングといった通信へ移行してきたが、フットボールもご多分に漏れず、Jリーグや欧州主要リーグをはじめとする多くのコンテンツが、スカパーを離れDAZNへ移行している。「やべっち」の終了が何より残念だったのは、テレビでは試合中継はおろか、ハイライト映像の放送機会さえ減少したことだ。

ホームで初戦に敗れたのは、5年前の繰り返し。カタールW杯への最終関門で、日本はまたしても厳しい滑り出しを余儀なくされた。組み立ての局面で、縦への長いパスがカットされる。崩しの段階で、足元へのショートパスを選択してスピードが上がらない。オマーン戦では、確実につないでよいところと急いでフィニッシュに持ち込むべき時、それぞれを錯覚したかのような判断ミスが散見した。新加入の神戸で鳴りを潜め、中国戦では無人のゴールにも決められない大迫勇也のスランプは深刻かに思えたが、直後に虎の子の1点を叩き込み、なんとかエースの面目を保った。渡航制限のためドーハまで長距離移動を強いられたなか、5バックで自陣のスペースを消した中国に対してボールを支配し続けたが、内容と得失点差を勘案すれば複数得点できなかったことは惜しまれる。それ以上に、日本時間の深夜とはいえ、この初勝利の瞬間が地上波のみならずBSでも放送されなかったことが、寂しいかぎりだ。

ネット隆盛の時代にあっても、私にはテレビ放送の価値や可能性が無くなったとは思えない。例えば一昨年、日本中を包んだラグビーW杯の盛り上がりは、地上波テレビの力なくしてはあり得なかったはずだ。従来ラグビーにおよそ関心の無かった人々が、その面白さに目覚めて「にわかファン」と化すうえで、連日のテレビ中継が誘因になったのは明らかだろう。放送が通信に優る点の一つは、人とコンテンツを偶発的に結びつける機会に富んでいることだと思う。わが国ではその恩恵に浴した最大のスポーツコンテンツが野球であり、プロ野球や高校野球を通して視聴習慣が醸成されたことが、国民的な地位を築く原動力になったのは間違いない。にわかファンなどとはいうものの、人気沸騰の熱源としては不可欠な要素だ。野球人気がいまだ根強いのも、「観たことがある」「たまには観る」といった人びとから成るライト層が、日本では他のどの競技より分厚いためだろう。いま、フットボールは放送から通信へ軸足を移しているが、たまたま地上波テレビを観る人はたくさんいても、たまたまDAZNを観る人が、はたしているのだろうか。

長寿番組から日本代表戦に至るまで、相次ぐ地上波放送の終了により、一般的な日本人がフットボールに触れ、感動できる機会が低減してしまった。それは、ライト層を肥やす土壌が乏しくなったことに他ならない。日本のフットボールは1993年のJリーグ誕生以降、W杯の初出場と韓国と共催での自国開催を10年以内に実現し、目覚ましい発展を遂げた。しかし、古いファンの感覚では昨日のことのように感じる一連の出来事から、もはや長い歳月が過ぎた。現在25歳以下の世代の人からすれば、おそらくリアルタイムの記憶ではないのだ。栄光の「賞味期限切れ」が迫っている現実を、直視せねばならない時が来ている。

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