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共感の力 第3のリベロ Vol.3

何かしらの共通項、多少なりとも共感できる要素を見出しただけで、雲の上の人でも親しみを覚えてしまうから不思議だ。私にとってその最たる例は宮本輝で、年齢が高い両親の独り子として神戸に生まれ、学生時代に父親と死別していることが相通ずる点である。一昨年から昨年にかけ、長い間隔を経て宮本輝の第二次ブームが訪れた。およそ2年を費やして読んだのは、氏の自伝的小説でライフワークとされる「流転の海」全9部作だ。

ブームの最初は高校の頃、古本屋でたまたま見つけた「青が散る」を通して流れるような筆致や切ない描写に触れ、美しい文章は読む者を感動させ得ることを教わった気がした。青春小説と称される作風が当時の年齢に合致したことも手伝い、芥川賞受賞作の「螢川」や短編の「星々の悲しみ」などは現在も本棚に残しているが、やがて小説を読む習慣自体が長く途絶えていたところ、一昨年に「流転の海」が完結したのを知った。宮本が長大な物語の完結に費やした年数は、37年。私が37歳になった年にこれを読了できたことにも、不思議な縁を感じてしまう。

この半年おきに通勤鞄に携えてきたのは「文藝春秋」で、直近の芥川賞受賞作である高山羽根子「首里の馬」、遠野遥「破局」、そして宇佐美りん「推し、燃ゆ」を読んだ。いずれも雑誌で読もうと思ったのは、ハードカバー版を買うより安上がりなのも一つだが、選考委員各氏の選評と、受賞者のインタビューも掲載されているためだ。残念ながら宮本はすでに退いたが、選評からは小川洋子や平野啓一郎といった歴代受賞者たちの視点や思索、その一端を垣間見ることができる。インタビューでは、美大出身の画家でもある高山が小説における恩師として根本昌夫氏のことを紹介していた。同門には、伴侶を亡くした喪失感のなか50代半ばで小説を書き始め、デビュー作「おらおらでひとりいぐも」で芥川賞を受賞した若竹千佐子もいたという数奇な事実に、感心した。

若竹が中年の星なら、宇佐美は早熟の天才だろう。大学2年生にして、栄えある受賞を「"予定"より早かった」と言ってのけるとは。それでも「推し、燃ゆ」は、難解で噛み砕けない受賞作品も少なくないなか、私にも読みやすいと感じられる物語だった。「おバカキャラになるにはへらへらとした感じが少し足りない」「みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならない」主人公と、愛情を注いできたアイドルの関係を軸に、家族やオンラインで繋がる人たちとの日常生活が並行して描かれ、至るところに共感できる節がある。「あたしは推しの存在を愛でること自体が幸せなわけで、それはそれで成立するんだからとやかく言わないでほしい」「全身全霊で打ち込めることが、あたしにもあるという事実を推しが教えてくれた」などという一文は、推しをフットボールに置き換えたとき、そっくりそのまま私にも当てはまるのだった。

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