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東京逃避行

4月20日、わたしは幸せの絶頂にいた
彼女だよ、のたった一言で。それが嘘だったとしても。もうそれでよかった。はずなのに、欲を出してしまった。故に自分で壊してしまった。

それは日付けが変わり東京に行く4月21日。
東京へ行く4時間前のことだった。

もちろん全ては仕事のうちだったのだろう
目を見てはっきりと言われた「無理だよ」に
どことなく腑に落ちた私がいた。
私は泣くことはなかった。いや、嘘だ。1曲尺分は泣いた。ただそれだけだった。

新幹線の中夢現で彼とあの子の幻覚を見ていた

幻覚の中は幸せで苦しかった。
みんなの言う通り私はバカだから
君に戻りたいとそればかり考えていたような気がする。

写真フォルダを開けばこのひとつき、君の写真でいっぱいだった。うつりこむ私はどれも幸せそうで、そして君はいつも笑っていた。

見返せない見返せないと言いながら
実はずっと見ていた。

返信がパタリと途絶えて、距離もある事だし
もうこのまま少しづつ忘れていくのを待つだけだと、そう思っていた。
そして、そうしろ、と、先輩や友達が背中を押してくれていた。

東京にきて数日経つ。名目は「バンドのため」
だけど半分は福岡から逃げ出したくて
家に着くなりキャリーに機材と少しの着替えをぶち込んで引っ張り走り出していた。

着いても尚、わたしはフラッシュバックに頭を抱えていた。

出会えたところが違えば、もしも私がもう少しあとに産まれていれば、もっと普通の人だったら、まだあの子と一緒にいたなら
結果は変わっていたかもしれないのに
私の人生のルートはこれだった。

そして、歌舞伎町で働いた。そこでは私が人として映ってないようだった。
ここに書けないほどの耐え難い拷問を受けていた。朝9時の歌舞伎町で絶対にこれが終わったら死ぬって泣き叫びながら嘔吐まみれで歩いていた。
ここが歌舞伎町で良かった。

その後、歌舞伎町から逃げ出したのにも関わらずまだ店との連絡を遮断をしていないのは自傷の一環としてそこでまたきっと拷問を受ける日が来ると思っているからだ。

そうまでして彼のことが好きだったのだろうか。何となくあの子を重ねていた気もする。

そしてまた時間がたち、電波の入りづらいラブホテルの1室で君からの通知だけが来ていた。

分かりやすくご機嫌な蝶になって部屋を飛び出して壊れた携帯を変えた。

本当に盲目とはこのことである。

原動力は今も君であるということは
揺るぎない事実なのだ。

何も残らないものに金と時間を使うなと
大好きな先輩から言われた。
ここがきっと私の分岐点なのだろう。

ここで福岡に帰って音楽を疎かにする愚か者なのか、はたまたここに残るのか。

別に福岡でも音楽はできる
だけど、わたしは今の福岡の音楽シーンは嫌いだ。飲み会にはうってつけであるけれど。

未だに5/3にかえるのか、それともまだしばらく残るのか、頭を抱えている。

何回でも君になら騙されていいよ。
あの子のところに帰ってしまった私を許してくれるなら、君のところに戻ってもいいかな。

やっぱり、重ねていたのは最初だけで
次第に
君「で」いい

君「が」いいに変わっていったようだ。

(以下作成中)

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