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パラレルキャリアで見つかる新しい自分の価値 vol,06

時代に合わせて自分をアップデートしていく


私が子供の頃って、今よりずっと選択肢が少なかったように思います。


小学校、中学校に行って、高校、そこから就職か専門学校か、大学か。そのあとの道も、どこかの企業に就職するか、たまに独立、起業する友達なんかもちらほらいたりしましたが・・・。
それ以外の選択肢をそもそも知らなかったし、思い浮かぶことさえなかった。

でも、今の情報量って10年前の数千倍なんだそうです。


確かに私の大学時代にもすでにパソコンとWindowsは普及していましたが、今みたいにたくさんの情報があるわけじゃなかった。ワード、エクセルのような便利なツールと通信連絡手段が増えた、くらいの感覚で、「とりあえず検索してみる」としても、得られる情報は今よりずっと少なかったように思います。

でも、どんどんパソコンやネットがが当たり前になって、通信速度も速くなって、世の中では、職種によってはもはや通勤することすら「選択肢の一つ」になりました。


だからこそ、選べる選択肢を意識して増やしていくことがすごく大事だし、そこに自分の幸せに繋がる道があると思います。もちろん、新しい選択肢を選べるようにスキルアップすることが前提ですが(それをしないでそちらを選ぼうと思ってもさすがに難しい)。


私たちの世代は、そこの「環境の変化」に柔軟になって、もっと自分で選ぶことに積極的になっていいんじゃないかな。

上は頭の固い昭和世代、下はデジタルネイティブでツールを使いこなすのがナチュラルに上手な世代に挟まれて、なかなか不毛感のある世代。

でも、世の中は私たちが育っている間にいつの間にか、
「正解のある世界から、多様で正解がない世界」
に移り変わったということです。


だから、どんどん知見をアップデートしていかなくてはいけないし、逆にいえば、見えていないだけで道はどんどん広くなっているということ。
自分は狭い道しかないと信じ込んでいるから、その幅でしか歩くことができないけれど、実は道自体は思ったよりもずっと広いのかもしれません。


自分のまだ知らない、自分に合った仕事が世の中には実はあるのかもしれません。
だからこそ、どんどん外に出て知見を得ることが大切。

固定的な「幸せの形」の押し付け


多様性の時代って、つまり正解がないわけなので、人と自分の幸せの形が違うことが「当たり前」ということです。
まあ、逆に考えたらそっちの方が「当たり前」のはずなんだけど、どうもその視点が持てないのも実情かなあ、と思います。

私は東京に住んでいますが、正直あまり地元で子育てをしたいと思わない。
地元自体はすごく好きです。のどかで、住むにはいいところだなあ、と思う。

でも、「幸せの形」がすごく決まっている場所だなあ、と感じます。

・妻は専業主婦
・家は実家に近くて孫とともにしょっちゅう出入りしている
・子供は2〜3人


これが地元でなんとなく感じる「幸せの形」の固定形。
内情は夫婦不仲だろうと、ケンカばっかりだろうと、この形におさまっていれば「いいわね〜」という話題になるというか・・・。なんじゃそれ。

気が合って仲良くやっているならわかりますが、気が合わなくて影で愚痴ばっかり言い合っていても、実家や義実家に近いのがいいのか、妻に働く意欲と能力があっても、家のことに従事させるのが幸せなのか?

自分の意思で選べば周りは反対こそしないけど
「できればこうなってほしいけれど、あなたがそうじゃないなら仕方がない」
みたいな扱いに感じるというか。

私はなんだかそれに妙な息苦しさを感じてしまって。そもそも、そういうのに疑問を感じるから合わせられないタイプなんですが・・・。

東京(と言っても都心じゃないですが)は、いろんな人がいるからか、そういうのがあまりない気がします。


自分の幸せは自分で考える


「これが幸せだよ!」って決まっていた方が、わかりやすい。「正解」がないと、どこまで行けばいいのかわからないから、逆に「幸せ」を感じにくいのかもしれない。

私の場合は、ずっと欲しくて憧れていたのは
「仲がいい夫婦」
でした。

昭和な父と母はいつも顔を合わせればケンカばかりしていましたので・・・。

それは若い頃の私が頑張って手に入れたものなので、それだけは絶対に失いたくない。だから、私はそれを基準にして動いています。
それと両立するために、

「無理はしない、でも地味でもコツコツ続けて絶対に退場しない、継続して着実に結果につなげる」

という今のスタイルになっているんだと思います。
独身時代はひたすら好きなことに時間を捧げて一気に進めるタイプだったんですけどね。

これに気がついたのはそんなに遠い過去じゃありません。いろいろ動いてみて、どうも自分が不安定になるのは、家庭のことがおざなりになっている時だなと気がついたから。
「自分のこと」のために動くこともしたいけれど、まずは家とパートナーの関係性に矛盾がないかどうかを自分でもこんなに意識しているんだなあ、と感じました。


だから、この優先順位を間違えなければ私が不幸せになる確率は低いということ。それに対して確信を持って動けるので、不自由なようでとても自由です。

これがないと、「隣の芝が青く見える」ことに惑わされて、大切なものまで失ってしまうことがあると思います。
上を見たらキリがないですからね。

とはいえ、家庭優先と言っても別に家庭のために自分を犠牲にしているわけでは全くありません。そもそも、今の選択肢も夫婦で話し合って決めたことですしね。
子供は成長によってある程度手は離れていきます。

だから、自分のことにかけられる時間は少しづつ増えていく。
その日を意識して、少しづつ世界を広げていく。

「自分のために」
「そして、自分が大切なもののために」

自分が幸せになるための優先順位は、物事を選ぶときの大切な価値基準になります。だからって間違いがないとは限りませんけど、それをしっかりと確立することで、軸のぶれない動き方ができるんじゃないかな、と思っています。

vol,07に続く→

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