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【ファッションで時代を切り開いた人物たち②】カール・ラガーフェルド

飯田亜美です。

本日は大尊敬しているデザイナー、
カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)について。

【カール・ラガーフェルドの一生】


カール・ラガーフェルドはフランスのファッションデザイナー。
自身のブランドも展開したほか、長きにわたって
カール・ラガーフェルドは「シャネル」、「フェンディ」の
デザイナーも担当していた。

1938年 ドイツの北西部、ハンブルグに生まれる。
父が乳製品の事業で成功し、裕福な家計で育つ。
子供のころから絵の才能に秀で、ファッションデザイナーに
興味を持っていた。
そんなカール ラガーフェルドの夢を叶えるために
両親は彼をパリに送り出す。

1952年、14歳で、パリに移住。
パリではオートクチュール組合が経営する洋裁学校に入り、
服作りの基礎を学ぶ。
ここで一緒に学んでいたのがイヴ・サンローラン。
1954年16歳の時に IWS(国際羊毛事務局)の
コンクールのコート部門で優勝。
(この時ドレス部門で優勝したのがサンローラン)

17歳からピエール・バルマンのアシスタントをはじめ、
20歳でジャン パトゥのアーティスティックディレクターと、
オートクチュールメゾンで経験を積む。
新しい時代の流れの中でオートクチュールの存在に疑問を感じ、
イタリアに渡りフィレンツェで美術史を学ぶ。
ここで建築、絵画、彫刻的な考えを学ぶ。

イタリアからパリに戻り、フリーで活動をはじめる。
始めの仕事はクロエで、その活躍が認められ、
63年、創業者の任命により、ブランドのヘッドデザイナーに就任。
65年、フェンディのデザイナーに就任。
83年、シャネルのデザイナーに就任。

84年、自身のブランド「カール ラガーフェルド」をスタート。
86年、デ・ドール賞(金の指貫き賞)受賞。
88年、マルティーヌ シットボンにクロエのデザイナーを
バトンタッチするが、92年、再度デザイナーに復帰。
結局クロエは5年間勤めた後、
97年にステラ マッカートニーにバトンを渡す。

2004年にH&Mとコラボレーションで
「Karl Lagerfeld for H&M」を展開し、大きな話題となる。
2005年、自身のブランドを、トミー ヒルフィガーに売却。
2008年、TIME誌が選ぶ最も影響力がある100人に
ファッションデザイナーとしては唯一選出される。
2009年、レペットとのコラボレーションで
フラット・サンダルとプラットフォーム・ヒールを発売。

さまざまなブランドで活躍し、
トレンドセッターとしての地位を確立。
シャネルでは服のデザインする以外にも、
サングラス、バッグと人気商品を生み出した。
2007S/Sコレクションを代表とするで白と黒を基調にした
ミニスカート(ミニドレス)に大きなサイズのサングラスの
スタイルは他ブランドにも大きな影響を与えた。

一時体重が100キロを超えていたが
ディオール オムの細身のスーツを着たいがためにダイエットに挑戦、
13カ月で42キロの減量に成功した。
ファッションデザイナーだけではなく、写真家としても有名。

2019年、パリにてカール・ラガーフェルド死去。

https://www.fashion-press.net/brands/135 より引用)


死ぬまで最前線で働く姿に感銘を受けました。
大尊敬しているデザイナーです。

「最高の贅沢とは、誰にも自分を正当化する必要がないこと」
カール・ラガーフェルド


株式会社LIFE DESIGN 飯田亜美


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