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わたしの赤髭K先生

 「で、今日はどうした」
 ぶっきらぼうにK先生が聞く。
 「おとといくらいから喉が痛くて今朝から咳も…」
 という説明も終わらぬうちに鼻と喉を見て、「あー、もう…ったく 」と言いながら何やらカルテに書き込む。
 「鼻A喉A! 」
 鼻A喉Aとはネブライザーと言われる吸入器だ。症状によってAかBか指示されるのだが、先生はとかく説明が雑である。症状を必死に訴えても、診断は先生の「ああー」とか「ったく」とか「鼻にきたな」といった短な言葉でなされる。具体的なことは調剤薬局の薬剤師の方々が、処方箋(と長年のつきあい)から、丁寧にフォローしてくれる。さながら先生の通訳である。
 通い始めたのはまだ結婚前だから、かれこれ20年近くお世話になっている。ぶっきらぼうなのは、つきあいが長くなったせいかもしれない。言葉と風貌は頑固親父そのものだ。患者にはぶっきらぼうだが自分はタバコを吸っている。ある時、ずいぶん立派な空気清浄機が入ったが、診察室の奥からほんのりタバコが香ってくるのがわかる。
 昔から大きなイベント事があるとなぜか風邪をひいた。すぐに治さなくちゃいけないと泣きつくと、「そんな勝手を言うな」と怒られた。
 結婚式直前もそうだった。喉の違和感があってK先生のところに駆け込んだ。
 「喉と鼻がヘンなんです」
 どれ、と喉を見た先生は、あーもう…とため息をついた。表情から、これは結構進行した風邪だとわかった。
 「ええー、明日結婚式なのに…」
 「誰の」
 「わたしの」
 「・・・ばかやろう」
 黙って鼻と喉にシュー、シューと処置をする先生に
 「明日までに治る? 」
と無茶なことを聞いた。いつもどおり「知りません!」、あたりの返事が返ってくるかと思った。
 「治してやる! 」
 荒っぽくも肯定的な先生の言葉に驚いた。そして、ちょっぴり照れくさくなった。
 先生のおかげかハレの日の興奮のせいか、式当日は風邪の症状は吹っ飛んでいた。以来、先生のキツい言葉(指導?)にも文句を言えない。
 その後妊娠して、出産直前という頃にまたひどい風邪をひいた。臨月にはもう薬飲んでも問題ないと助産師さんに言われて先生のところに行ったのに、K先生は
「俺は出したくないの! 」
 と、頑として薬を出さなかった。
 週末のお祭りでお神輿を担ぐのに喉が痛いー、と泣きついたときは
「知らんよ」
と流された。
 あれ以来、「治してやる」なんて言葉は聞かない。頼りにしているけれど。

* * * * *

これは数年前に書いたものである。
エッセイを書く動機は、わたしの日々に登場するいろんなユニークな人たちのことを書いておきたい、と思ったからだった。その1人がK先生だ。
このエッセイを、渡しておけばよかった。
大きな心残りである。

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