丸山エイミー
日々、ちょっとした瞬間、心が動くことがあります。 忘れたくない瞬間を言葉で書き留めてエッセイにしています。
15年程前、医療系企業で働いていた時、広報誌の取材で医師の方に会う機会がよくあった。その中で今も忘れられないのは中田力先生である。 東大卒業後、アメリカに渡り長年脳外科医として臨床現場に立ちながら、MRIの開発にも関わる脳研究の第一人者とのことだった。当時、新潟大学にできた脳研究所の脳機能研究センター長になり日米を行き来していた。 取材数日前に挨拶のメールを送ったら即座に返信が来た。 「わたしのことはよくご存知でないでしょうから、この本を読んでいただくといい」 と一冊の著
息子8歳、娘4歳。怖がりなのは圧倒的に息子の方である。 リビングからすぐのトイレですら、一人で行くことができない。妹が「電気つけてあげるよ」と、彼の先を歩いてくれると、恥ずかしそうに、でも安心してトイレに行く。まったく怖がりも過ぎるねえと、夫と二人笑うのだが、思い返せばわたしもそうだった。 トイレでもお風呂でも、いわゆるキッチンやリビングといった、人が必ずいる部屋以外に行くのがとても苦手だった。子どもの頃はお化け、虫、暗がり、怖いものがたくさんあった。一つ下の妹も怖がっ
「で、今日はどうした」 ぶっきらぼうにK先生が聞く。 「おとといくらいから喉が痛くて今朝から咳も…」 という説明も終わらぬうちに鼻と喉を見て、「あー、もう…ったく 」と言いながら何やらカルテに書き込む。 「鼻A喉A! 」 鼻A喉Aとはネブライザーと言われる吸入器だ。症状によってAかBか指示されるのだが、先生はとかく説明が雑である。症状を必死に訴えても、診断は先生の「ああー」とか「ったく」とか「鼻にきたな」といった短な言葉でなされる。具体的なことは調剤薬局の薬剤師の
エレベーターの行き先ボタン、バスの降車ボタン、切符購入ボタン。子どもというのはボタンというボタンを押したがるものである。私も子どもの頃はそうだった。さあ押そうと構えているのに先に押されてしまったときの悔しさと言ったらなかった。 大人になると、子どもの時にやりたがったことは、逆にやらずに済ませたがるようになる。エレベーターでもバスでも、誰か押す人いないかな、などと窺うようになり、切符に至っては買わずに済ませられないかとさえ考えるようになる。不思議なことである。 なぜ子ども
息子8歳、娘4歳。怖がりなのは圧倒的に息子の方である。リビングからすぐのトイレですら、一人で行くことができない。妹が 「電気つけてあげるよ」 と、彼の先を歩いてくれると、恥ずかしそうに、でも安心してトイレに行く。まったく怖がりも過ぎるねえと、夫と二人笑うのだが、思い返せばわたしもそうだった。 トイレでもお風呂でも、いわゆるキッチンやリビングといった、人が必ずいる部屋以外に行くのがとても苦手だった。子どもの頃はお化け、虫、暗がり、怖いものがたくさんあった。一つ下の妹も怖がっ
気に入っている写真がある。 息子と娘と一緒に写った写真である。 『単位展』という展覧会を六本木21_21ミュージアムに見に行った時の写真である。 グラフィカルな展覧会ポスターの前で親子3人。息子と娘の表情はもちろん、私もお気に入りのスカートを履いて、なんとなく気分が良かったのが写真に現れている気がするのだ。 撮ってもらった写真を見た時、きっとこういう風に子ども二人と一緒に展覧会を心底楽しむことはもうないだろうと、心のどこかで思っていたような気さえするのだ。 * * * *
娘の名前はカレン、漢字で書くと果恋である。 名前を聞かれて答えると、漢字はどう書くの、という質問になる。「果物の果に、恋するの恋」と答えると、たいてい「えー可愛い名前ー」と言われる。こちらも「うん、可愛い名前にしちゃった」と少しおどけて笑う。娘が生まれて以降、繰り返される会話である。 名前の漢字は強い。自分の漢字がどのように説明されるか、によって、その後自分の名前をある種カテゴライズしていくのではないかと思う。わたしの場合は江美の字を「江戸の江に美しい」と親が人に説明し
子ども2人と家路を急ぐ。喋ったり歌ったり、私たちの帰り道はいつも賑やかだ。 信号待ちで傍にいたおばさんがこちらを見ているのに気付き、社交的な6歳の息子が声をかけた。 「今日クリスマスツリー飾るんだ」 子どもが好きなのかな、と私も何の気なしに子どもたちに向けた笑顔のまま軽く会釈をしたら、そのおばさんは「あなた、子どもを抱っこしたりするのにそんなヒールのある靴よく履いてるわね、危ない」と言った。思いもよらない言葉に一瞬、え?と笑顔のまま戸惑った。 「大丈夫ですよ。低いヒ
20代前半の頃、元々持っていたアレルギー性鼻炎がひどくなり、かかりつけの耳鼻科から粘膜と鼻中隔を削る手術をしてもいいかもしれない、と大学病院を紹介された。ちょうどひどい副鼻腔炎になっていて、少しでも楽になるなら早いとこ手術してほしい、とばかりに紹介状を持って病院に行った。(ちなみに昨年、有吉さんもこの手術を受けたと報道されていたと思う) 病室に入ると、先生の方から色々と説明してくれるのかと思ったら当てが外れた。 「で、何。どうしたの」 どうしたのって…と愛想のない先生にた
小学4年の息子が、学校で習った「いのちの歌」を歌いながら、「ママ、いのちってなんだと思う? いのちってなに? 」と聞いてきた。「いのち? いのちっていうのはー・・・」納得できる答えを言えるつもりの頭に反して、口からは言葉が続かない。 そんなわたしに気づいてか「あのね、いのちっていうのは、限りのある時間のことだよ」と助け舟を出すように息子が言った。「世界中の人に与えられた、動物にも虫にもだよ、神様が与えてくれた限りのある時間のこと」。 息子よ…、その通りだ。聞かれて言葉に
昨年書いていたエッセイを改めて。 「アルモンデ」ー 今話題なのだと教えられて、先日初めて知った言葉だ。 なんじゃそりゃ? と思ったが、これが料理関連のSNSで流行っている言葉だと聞けば大体想像がつく。イタリア料理のパスタの茹で加減をいう「アルデンテ」をもじって、「家にあるもんで作る料理」のことだそうで、まんま予想通りである。昨今の物価高を受け、「買い物せずとも家にあるもんで作る」意識の高まり、というのが背景らしい。ふーん、なるほど。 いや、そもそも毎日の料理なんて