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ボタンを押したい


 エレベーターの行き先ボタン、バスの降車ボタン、切符購入ボタン。子どもというのはボタンというボタンを押したがるものである。私も子どもの頃はそうだった。さあ押そうと構えているのに先に押されてしまったときの悔しさと言ったらなかった。
 大人になると、子どもの時にやりたがったことは、逆にやらずに済ませたがるようになる。エレベーターでもバスでも、誰か押す人いないかな、などと窺うようになり、切符に至っては買わずに済ませられないかとさえ考えるようになる。不思議なことである。
 なぜ子どもはボタンを押したがるのか。おそらく、「押す」という単純な行動に、ボタンが光る、音が鳴る、といった反応があるのが面白いのではないかと、今になって推測する。
 先日、ある駅ビルのエレベーターに乗った時、小さな男の子とお母さんが入ってきた。男の子がボタンを押そうと
「何階?」
と聞くと、お母さんは
「1階。でもごめん、もう押しちゃった」
と言った。がっかりした表情を浮かべる男の子を見て、わたしはすでに光っていた「1」のボタンを2度押した。ボタンの光は消えた。
 男の子に
「消えちゃったからもう一回押してみて」
と言うと、その子は驚きつつも嬉しそうにボタンを押した。お母さんは
「えーー、ありがとうございます。えー」
と言って驚いていた。
「最近のエレベーターは、ボタン2回押すと消えるんですよ。間違えちゃったときとか」
と言うと
「そうなんですか! 知らなかったです。よかったねー」
と、息子さんに顔を向けた。人からの受け売り知識だが、男の子の嬉しそうな顔を見て、こちらも嬉しくなった。

 そういえば、わが子が4、5歳の頃も同じことがあったなと思い出す。バスに乗り、次の停留所になったら教えてね、とボタンを押す気満々だった娘だが、それより早く誰かが押してしまった。すると娘は
「うわーん、押したかった!! 」
と大きな声をあげて悔しがった。押したご本人は(おばあさんだった)
「ああっ、ごめんなさいね。どうしましょう、押しちゃってごめんね」
と謝った。私は
「いえいえ、そんな」
と笑って答えたが、直後、既についていた降車ボタンのランプが消えた。乗っていた人たちの表情が一斉に緩んだのがわかった。
「あ! 消えたよ。カレン、押して! 」
と言うと、娘は急いでボタンを押した。ピンポン、の音が鳴る。その瞬間、自分の子ども時代の気持ちも蘇り、胸がじんわりあったかくなった。
「すいません、ありがとうございますー!」
と立っている場所から運転手さんにお礼を言った。バスの中に、ふわりと温かい空気が漂っているように感じた。
 すでに光って反応しない状態のボタンを押してもつまらないのである。自分が押して、光ったり、ピンポンと音がしたりして、反応するのが面白いのだ。
 反応があるから、面白い。反応があるから、押したがる。
 子どもがボタンに示す興味と行動は、案外人間の行動学の基本なのかもしれない。
 今も、たまたまバスやエレベーターで居合わせた幼い子どもが、予想通りボタンを押したがる様子を見るたび、押させてあげたいと思わずにはいられないのである。

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