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命の恩人・知らないおばさんに感謝

私が5歳の時の話です。まだ昭和の真っ只中。私は毎日バスで幼稚園に通っていました。幼稚園が用意したバスではなく、一般の交通手段。普通に走っていたバスです。

当時は降りる時にボタンを押す制度がなく、バスガール(バスレディ?)がいて、彼女に「降ります」と伝え、彼女が運転手に「降りる方がいらっしゃいます」と伝えるのが普通でした。日本の田舎で育った私の経験ですが、しっかりと覚えています。

幼稚園のバス停では同じ幼稚園に通う和田くんと斉藤くんと待ち合わせ。3人でバス停から幼稚園に歩き、帰りは先生に3人ともバス停に送ってもらい、バスに乗って一人で降りて帰る。全く問題なく安全な日本だったからこそ可能であった話です。

ある日の話。なぜかその日は混んでおり、私も座れなくずっと立って乗っていたバス。次は私のバス停。バスガールさんは近くにはいない。降りなくてはいけない私は、「降ります」と言ったのですが、彼女は聞こえずバスはそのまま市内へと。

さあどうする。

次のバス停で降りるしかない。でも、そこからどうする。

確かに次のバス停で降りました。どうしたら良いか分からない私は周りを見て、「あそこが市役所。あそこがなんとかタバコ会館。後ろには田中くんのお父さんが経営している病院」と自分がどこにいたかは把握したものの、ここからどう幼稚園に行けば良いのか分からず、何度も信号が変わっていく交差点で泣き始めました。

どれだけ時間がかかったのでしょう。何度も信号が変わっていったのは確かです。通り過ぎる人は、泣いているこの子に声もかけず、そのまま出勤・買い物。

突然、「どうしたの?」と声が聞こえ、上を見るとショートヘアのおばさんが立っているのに気づきました。泣きながら説明し、おばさんがそのまま手を上げ、タクシーを止めて一緒に乗って幼稚園まで送ってもらいました。

50年前の話。おばさんの顔は今でもうっすら覚えています。

知らない人と一緒に車に乗ってはいけないと知っていながら乗りました。でも、乗るしかなかった、と頭の中で自分に言い聞かせたのは覚えています。幼稚園に送ってもらってからはちゃんとお辞儀をして、「ありがとうございました」と言ったのも覚えています。

今でも信じられない話ですが実話です。

あの日、私を救った見知らぬおばさん。一生忘れません。本当にありがとうございました。

#やさしさに救われて

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