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ちょっとした、ちょうどよい楽しみ

「家には寝に帰るだけ」という表現を耳にすることがある。

朝早くから出勤して、バリバリ働いて、夜遅く帰宅して。
自宅に着いたらスーパーやコンビニのお惣菜、カップ麺でインスタントに食事をすませ、さっとシャワーを浴びて床につく。
そんな生活が思い浮かぶ。

リモートワーカーのわたしにとって「家には寝に帰るだけ」は当てはまらないが、でも意外と遠くない表現だ。

通勤がないだけで、(夫が夕飯を外ですませてくる日はとくに)朝から晩まで働いて、食事は冷凍食品やレトルト食品を駆使してぱぱっとすませ、さっとシャワーを浴びて…なかなか床には着けないけれど。

∽∽∽

通勤のある仕事をしていたころのわたしは「家には寝に帰るだけ」だったかもしれない。
その代わり、仕事終わりにちょっと一杯ひっかけたり、商業施設にふらっと立ち寄って衝動買いをしたりしなかったりが楽しみのひとつだった。

でも今、外出とは「わざわざするもの」だ。
仕事帰りのちょっと一杯も商業施設への寄り道もなくなった。

そう思うと、ついでのちょっとした楽しみが減ったなあと思う。
減ったというか、今はない。

Prime Videoなんかでの映画鑑賞も、2~3時間かかると思うとなかなか再生ボタンに親指が向かわない。
読書も読書でとくにおもしろい本だと中断できずに結局数時間かけて一気読みしてしまうから、意外と思い切りが必要だ。

ラジオも好きだけど、ラジオって何かをしながら聴くものではないか。
わたしはハガキ職人でもないし、ラジオに集中しようとしても手持ち無沙汰のほうが気になって集中できない。
洗濯物を干すあいだとか、洗いものをするあいだとか、手はふさがっているけれど耳と脳みそは比較的空いている状態で聴くぐらいがちょうどよい。

そうすると、通勤していた頃よりも、実はリモートワークの今のほうが「仕事終わりの楽しみ」がないような気がするのだ。

お尻に火が点かないとなかなか仕事に本腰が入らない割に、小心者がゆえ「えーい、今日はもう集中できないから仕事終わり!SLAM DUNK一気読みしちゃえ!」みたいな行動ができない。

仕事も終わったし、夫も先に就寝したし、ようやくひとりの時間がやってきても「さてなにしよう」と困ってしまう。

こんな時間に「ちょっと一杯」いける居酒屋は開いていない。
商業施設も営業時間外。
かといって映画や読書の2~3時間は腰が重い。

結局、お酒をちびちび呑みながらだらだらと推しのYouTubeをパトロールしたり、ドラマの最新話の録画を消化するなどして過ごす。
時計をみると2時間ほど経過している。映画でも1本観ればよかったと後悔する。

時間を「消化」しているだけで、有意義な感覚がまったく感じられない。
それなら早く寝ればよいのだが、ふとんに入れば入ったで眠れない。
「眠いな」と感じてからふとんに入らないと、夫のいびきや雑念やらで苦痛のほうが大きくなってしまう。

「ちょっとした楽しみ」って、難しいね。
どこに置いてきてしまったのだろう。
あるいは「手持ち無沙汰」を楽しむ余裕がなくなっているのかもしれない。
明日は思い切って映画でも観ようか。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたの仕事終わりの「ちょっとした楽しみ」はなんですか?

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