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不安なときは後退したっていい。きっと道はある

人間の厄介な感情のひとつに「不安」がある。
不安とは「正体不明の恐怖心によって心の安寧がおびやかされている」状態だ。

わたしは、人のことはさておき自らに対して感じる不安には2種類あると思う。
結果がわからない不安と、なにをすれば良いのかわからない不安である。
より厄介なのは後者だ。

結果がわからない不安というのは、言い換えれば「失敗したらどうしよう」という気持ちだ。
「志望校に落ちたらどうしよう」
「フラれたらどうしよう」
こういう場合、結果はわからなくてもやるべきことはわかっている。

合格したいなら勉強あるのみだし、つき合いたいなら告白しなければ想いは伝わらない。
「そんな単純なことじゃないんだよ!」と反感を買いそうだけれども、たぶん、単純なことだ。客観的に見ればね。


問題はなにをすれば良いのかわからないほうの不安だ。
今のままじゃまずい気がするんだけど、どうすればいいかわからない。
大切なものを失ってしまってお先真っ暗だ。どうしよう。

このまま何も変わらなかったらどうしよう
思い描く最悪のシナリオが実現してしまったらどうしよう
いやもう正直なにも思い浮かばない、どうしよう
今現在と未来を線で結ぶとしたら、どう見てもその線は平坦でなく、下っているように感じられる。


でもね。
車を運転する人ならよくわかるだろうが、本当に「先が見えない」のは下り坂ではなく登り坂のほうだ。
だからわたしたちが不安を感じるとき、眼前にあるのは下り坂ではなく登り坂だといえるんじゃないか。

だったらとっとと歩を進められれば楽なのだが、そうは問屋が卸さない。
なぜか。
目の前にある登り坂は、まるで傾斜80°ぐらいの、もはや壁のように見えるからだ。よほどボルダリングが好きな人だって「とっかかり」がなければ登りはじめられないだろう。

だからといって、立ち止まっていても仕方がない。
じゃあ、どうするか。

前に進めないのなら、引いてみる。
何歩も、何mも、下手したら数百メートルでも、後ずさりしてみる。
落ち着いて、冷静に、景色が見えて状況をつかめるところまで。

考えてみてよ。
エベレストだってマッターホルンだって、登山ルートが複数あるのよ。
今、見えているのはもっとも急でタフなルートAかもしれないけれども、引きで見たら少し傾斜のゆるやかなルートBがあるかもしれないし、もっともっと引きで見たらくねくねと距離は長いが比較的平坦なルートCも候補として入ってくるかもしれない。

それに登山だと一度登りはじめたらルート変更は容易でないけれども、人生は気力やら体力やら時の運やらご縁やらで、いくらでもルートをスイッチングできる。
まずどこか歩けそうな登山道が見えさえすれば、もはやこっちのものだ。

そりゃあ道が見えるまではずっと不安だし、1ヵ月、数ヵ月、半年と時間がかかればかかるほど焦る。
でも焦ってもプラスになることって、ないのよね。
焦ったときほど決断をしてはいけないし、それは時として自棄ともいう。自棄になればそのあともっと面倒だ。

難しいことをしようとするから、難しい。
いちばん基礎基本は、食べて眠ること。
スタートラインを、そこまで下げたっていい。焦りと不安と同居生活だ。

食べて眠って、すこしずつ回復してきたら、自分が今立っているその場所と、その場所から見える景色をうろうろしながら確かめていく。
頼れそうな人がいたら、尋ねてみてもいい。
本を読んでみるのもいい。
ドキュメンタリーを観るのもいいかもしれない。

そして嫌になるまでことばにする。
別に人に見せるわけじゃないから、殴り書きでいいし、スマホのメモだっていい。
ことばはきっと、最初の道しるべになる。


どうせ先の見えない登り坂だ。
合っているも間違っているも今はまだわからないんだから、とりあえず自分で導き出した道しるべを頼りにしてみようよ。


不安はこれから「登り」のサイン。
後ずさりしたって、時間がかかったってかまわない。
スタートラインは逃げていかない。
休み休み、自分だけの登山ルートを歩いていこう。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたは今年どんな山を、どんなルートで登りますか?

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