AIではじめて仕事がなくなった
「自分でChatGPTを使ってやってみるので、今回はいったんパスします」
こんな連絡をクライアントからもらった。
いよいよこのときが来たか。
これがよくいう「AIに仕事を奪われる」現象なのだろう。
もしこれが昨年のわたしなら「え!え!え!やば!え!どうする!ちょ、どうしよ?」とうろたえていたと思う。
ところが、今のわたしは少しほっとしてさえいる。
今のわたしは「ChatGPTにできることを、わたしがする必要はない」と思っている。
もちろん、書くことは嫌いじゃない。
というか、書くことに対して好き嫌いを申し上げるのには違和感がある。
ベテランのコンビ芸人が互いに仲がよい・悪い、好き嫌いとはちょっと違う感覚を抱いているのがわかる気がする。
わたしにとって書くことは、相方のようなものだ。
でも「ChatGPTに相方を奪われた」とは思わない。
だって仕事じゃなくたって文章はいくらでも書けるから。
じゃあ今度はChatGPTを迎え入れてトリオでも組もうか、というのもまたちょっと違う。
書くことがわたしの相方だとするなら、ChatGPTはわたしが使うときはビジネスパートナーであり、他人が使うChatGPTは便利で賢いツールである。
今どき洗濯板で洗濯をしないように、荷物を送るのに飛脚を使わないように、人の頭を使わなくても文章が書けるようになった。
ただそれだけのこと。
これからもたぶん、ChatGPTによっていくつかの、あるいは多くのわたしの仕事がなくなるかもしれない。
でもChatGPTのおかげで空いたわたしの頭を、人間でしか成し得ないことを考える時間に充てられると思うと、ちょっとわくわくしている。
とはいえ、まだノープランだけど。
…と、そんな月曜日である。
∽∽∽
ちなみに、このnoteをChatGPTに学習させたら、ChatGPTはたぶんわたしの日常っぽいnoteをわたしの代わりに書いてくれるだろう。
でもそれはしない。
わたしの日常っぽいnoteをChatGPTに書かせたところで何の意味もない。
「っぽい」ではなく「わたしの日常そのもの」をわたしはこの頭とこの手で書きたいから。
そもそもChatGPTはビジネスパートナーであって、わたしのnoteはまったくビジネスじゃないからね。
そこにChatGPTは必要ないのだ。
これはわたしの、相方との時間なのである。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが最近AIでしたことは、なんですか?