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じぶんが得意な「頭の使い方」がわかった

2月って、受験シーズンまっただなかだっけ。

あなたは学生時代どの科目が得意であっただろうか。
もしくはどの科目が苦手だっただろうか。
文系科目かな、理系科目かな。



小学校のころ習う「社会科」は、中学になると地理・歴史・公民の3科目に分かれ、高校になると地理・日本史・世界史・政治経済・倫理社会・現代社会へ、なんと7科目に細分化される。

理科もそうだ。
高校生になると物理・化学・生物・地学と4科目に分かれる。


わたしの得意科目は国語・英語・数学・化学。
苦手科目は社会科ぜんぶ。

得意科目の共通点は「パターンをつかめれば解ける」科目。
社会科はパターンがないから、解けない。
とくに歴史は大嫌いである。

今でも忘れない。
小学校か中学校の教科書に、はじめて「朝廷」の2文字を見たあのときの憤りを。
どうして狩猟・農耕・土器・古墳しか(習わ)なかったその時代から、突然のように「朝廷」が表れるのか。
さらに憤ったのは、鎌倉時代になると「幕府」まで表れることだ。

朝廷と幕府ってどう違うんだよ。
そこんとこちゃんと説明してくれよ。
朝廷と幕府の違いでつまずいてしまったわたしはその後、歴史の授業への熱意を完全に失った。

あと、後醍醐天皇とか、後鳥羽上皇とか、なんなの?「後」って。
天皇と上皇ってなによ、どう違うのよ。

そこで「調べてみよう」という意欲がわけばよかったのだが、つまずきワードが多すぎて調べることを諦めた。
調べれば調べたでまた難単語が芋づる式に現れる。


たぶん数学や英語が苦手な人も、似たようなつまずき方をしていると思う。
「過去形って動詞にedじゃないの?なんでtakeはtookなのよ!」とか。
「ありおりはべりいまそがり」ってなんだよ。とか。
数学なんかもう定義と公式のかたまりだから、そもそも√ってなによ?xとy使う意味がわからんとか。

わたしにとって社会科以外の科目はぜんぶ「世界」を感じるのだが、倫理社会を除く社会科からは「世界」を感じられない。

ドラゴンボールを観ていて
「おいおい超サイヤ人ってなんだよ」とつまずく人は少ないだろう。
あるいは鬼滅の刃を観ていて
「いやいや呼吸ってなんですの」とつまずく人も少ないはずだ。
なぜなら漫画の世界のルールとして受け入れられるからだ。

「be動詞と、それ以外の動詞があるんですよ」といわれたら、英語の世界のルールとして受け入れられる。
四則演算も数学の世界のルールとして受け入れられる。

英語や漢文は外国語だし、古文ももはや外国語である。
つまり言語の世界だ。
数学は数字の世界、化学は物質の世界。
世界にはルールがあるから、いちいち定義として説明してくれるのだ。
定義を理解できれば公式を理解できて、パターンをつかめる。

でも歴史にはルールもパターンも、わたしには感じられない。
そりゃそうだ。
歴史は人間の営みなんだもの。
そこにはなんの定義もない。

人々の集団意思あるいはカリスマ的トップか独裁者の意思で世の中が移り変わっていく。
無秩序で予測の難しいエネルギーの流れである。


つまり
ものごとの全体像と、その世界がどんなルール・秩序で成り立っているかがつかめると、その先の理解と推測がわりと早く進む人間なのだ、わたしは。

だから「とりあえずやっといて」という指示は苦手である。
なんで?
やったらどうなるの?がわからないと、まったくやる気が出ない。

やたらカタカナ語を使う人も苦手である。
わざわざ英語チックな単語使わずに、日本語を使ってくれよ、と思う。

逆に「今こういう状況で、こうしたいから、これをやってください」とカタカナ語を使わずにいわれたら「ああ、そうですか」とすんなり納得してとりかかれる。
指示のひとつひとつを因数分解していけるから。


大きな地図や世界観から共有したい。
そうじゃない人はコミュニケーションがつかれる。

これがわたしの脳みそらしさだ。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたの得意な頭の使い方は、どんなふうですか?


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