泣いてしまいたい気持ちになる予感がするとき
ああ、なんかもう、泣いちゃいたい。
そんなふうに感じるときがたまにある。
まだ臨界点には達していないけれど、けっこう詰まってきている。燃えるゴミの日を間近に控えた、キッチンの排水ネットのように。
ちょっとグラスを洗う程度なら問題ないけれど、お鍋はちょっとヒヤッとするし、油ギトギトのフライパンは確実にアウト。
そう。グラスやカトラリーぐらいなら問題なくこなせるのだ。
でもこってりソースのついたお皿とか、お鍋、フライパンが立て続けにやってくると排水に時間がかかってしまう。しかしまだ詰まりきってはいない。しばらくそっとしておけば元どおり。そんな状態が「泣いちゃいたい」とき。
で、わたしは今その一歩手前にいる。
予定のキャンセルとか、急な雨降りとか、自分の力ではどうにもならない「ちょっとしたストレス」が重なる。
さらに、そういうときにもっとも不向きな、創造力を必要とするタスクが発生する。
「まだ泣いていない面に蜂」である。
逆に、蜂につつかれまくるから泣きたくなるのだ。
もうすこし蜂につっつかれたら、もうすこし油まみれのお皿がやってきたら、たぶん「ああ、もう泣いちゃいたい」フェーズに移行する瀬戸際にいる。
「もう泣きたい」と思ったとき、あなたは上手に泣ける人だろうか。
わたしのまわりには「泣き上手」が少なくない。
泣き上手たちは口を揃えて「泣きたくなったら泣いちゃう」というが、泣きたくても泣けないのがわたしだ。おなかが痛いのに出てこないあの感覚に似ていて、意外とつらい。
だからその一歩手前でできれば手を打ちたい。
∽∽∽
泣きたくなる一歩手前の状態では、アメとムチだけではちょっと足りない。
「堀」も必要だ。難攻不落の城のように。
アイスを食べたりNetflixを観たりと、自分を甘やかすアメ。
でも最低限ここまでと決めたタスクを完遂させるムチ。
そして、予定のキャンセル、急な雨降り、隣の部屋から聴こえてくる大音量のテレビなど、自分の力ではどうにもできない事象を自分ごと(ストレス)にしないための堀。言い換えれば「それ、わたしの問題じゃないんで」という境界線。
自分が悩んだって仕方のない問題で悩まない。
そもそも「問題」と捉えない。
すぐ「問題」の顔をして自分の心に侵入してこようとするけど、あんたの相手をしている暇などない。
予定は再調整が必要ならそうする。でも無理しない。
傘をさして出かけるのか、車で出かけるのか、はたまた外出は諦めるのか、淡々と判断する。
ヘッドホンで耳をふさぐか、もうその部屋にいることを諦めてさっさとお風呂に入っちゃうか、余裕があるなら一緒にテレビを観てもいい。「やかましいなあ」と貧乏ゆすりを延々続ける以外の選択肢をとる。
書いてしまえば簡単なことだけど、1日のうちに2コンボ3コンボ一気にやってくるから思考が止まる。泣きたくもなる。
まずはお堀のこっち側、安全な場所に避難して、それから冷静に判断をくだすのだ。ひとつひとつ。武将あるいは軍師のように。
わたしも、明日にまわせるタスクは明日にまわした。
その代わり今日終わらせると決めたタスクは必ず終わらせて、お風呂→ビール&ハーゲンダッツをいただくと決めた。
荒れ模様の9月初日。
心は静かに。
今日も読んでくれてありがとうございます。
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