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近所のおばあちゃん

こんばんは、Amyです。

今日は、私のだいすきな近所のおばあちゃんのお話。

はじまりはじまり▶︎▶︎


私は月に一度、近所のおばちゃんのお家に伺うことにしている。

もとは、引っ越して来て間もない頃、そのおばちゃんが「お家においで!」と誘ってくれ、料理を教えてくれたり、自家製のドライフルーツを振る舞ってくれたりしたのだ。

知り合いもいない、友達もいない、まさにひとりぼっちだった私にとって居場所ができたようで本当に嬉しかった。

おばちゃんの家は不思議なくらい居心地が良くてつい長居してしまう。
毎度のことながら、それはもう至れり尽くせりである。

おばちゃんといっても、自分の祖母と変わらない年齢なのだが、とにかく若い。

いつも笑顔で、私のことを自分の娘(孫かもしれない)のように接してくれるから私もその人が大好きだ。

角を曲がればすぐの距離にお互い住んでいるのに、これがなかなか会う機会がない。

先日もまたおばちゃんの家に行く予定だったが、私が約束の時間を間違えてしまい、わざわざ家まで迎えに来てくれた。

おばちゃんの家はいつもたくさんの人で賑わっていて、その誰もが朗らかで温かく、一歩居間に足を踏み入れるだけでおひさまに包まれたような気持ちになる。

「遅れましたー!」

と、遅刻したうえにわざわざ迎えにも来てもらっておいて、大声で挨拶をする私。

根性はある方だろう。

しかしもう少し申し訳なさを出しておくべきだっただろうか。

いつメン(だいたいいつも決まった人が集っている)にペコリ。

それぞれ最近の話題とか色々話すのだが、この日私が何気なしに話した事で1人のおばあちゃんの頬に一粒の雫がこぼれた。


「Amyちゃんは最近なんか頑張ってることある?」

と肩をつんつんされたので、

「この前新聞を読んでいたら、昔ものすごくお世話になった人が載っていたんですよ!」

と話し始めた。

それは、お世話になったその人が地域のために貢献しているという大変嬉しく、感動する記事だった。

「元気がない時、頑張れない時、逆に頑張った時、嬉しかった時、いつもその人が励ましてくれて、一緒に喜んでくれました。その人はキラキラしていて、どんな時もAmyちゃんならできる!と励まし続けてくれました。」

と私は続ける。

「最近の私は自分に甘えてばかりだったから、なんだかその人の写真見たら最近頑張ってる?って聞かれてる気がして。気合い入れ直さないとですねー!」

私が言うと他の人は「あらあら」と微笑んだが、1人のおばあちゃんだけは真剣に私の目を見つめていた。

そのおばあちゃんはいつも静かに周りの話に耳を傾け、謙虚な姿勢を崩さない。

高齢であるその身体は細く小さいが、とても強くたくましく、揺るがない芯がうかがえる。

そのおばあちゃんは言った。

「私にも、孫がいるの。あなたを見てるとふと思い出しちゃうわね。」

そして目を細める。

「私もね、若い頃子ども達をたくさん励まして来たのよ。私の気持ちはみんなに届いてたのかしら。」

おばあちゃんは確か80代。

若い頃といえども、恐らく私が生まれるより前の話であろう。

「あの子たちも、あなたがさっき話していたみたいに、どこかで私のこと思い出してくれたりするのかしらね。」

そういうとおばあちゃんは「帰るわね」とその場を去っていった。

私はその一言が単なる回想とは違い、おばあちゃんの何十年という人生のいろんな思いが含まれているように感じた。

胸がいっぱいになってしまって頷くことしかできなかったけれど、きっとおばあちゃんは1人の教育者として一人ひとりの子どもを想い、育てて来たのだなと思った。

私はまだ20代で、想うより想われる機会の方が多いかもしれない。

けれど、そうして想う側にもそれぞれの「思い」があり、希望があり、相手の幸せを祈れるのだと私は思う。

そしてそれがおばあちゃんのたくましさの秘訣だろう。

素敵な午後だった。

-Amy

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