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男性や男の子のキャラクターへ「お母さん」と言ってしまうこと

先日こういったツイートをお見かけした。

これに関しては私も日頃同じようなことを考えていた。私はボーイズグループではなく少年漫画についてだけれど。
私はnoteでも度々言っているが某少年漫画(スポーツもの)で二次創作をしている。それ用のTwitterアカウントも持っているし、趣味が同じ人と感想を言い合ったりキャラクターのことを愛でたりもしている。そうしていると上記のツイートに書いてあることと同じようなことを言っている同志をまあ、よく見かけるし二次創作の作品でも見かける。
男の子たちの集団のなかで、優しかったり物腰が柔和だったり他人の面倒を見ることをいとわないキャラクターのことを「ママ」とか「お母さん」などと言っている。私の好きな某少年漫画はスポーツもので学校部活ものでもある。そうすると各校に一人ぐらいそういう面倒見のいいキャラがいて、そうなるとファンの間で「〇〇校のママ」と言われたり各校の彼らを集合させた二次創作の作品では「お母さんズ」とかキャプションに書かれたりするのだ。作品内でそう呼ばれていなくてもファンたちがそう呼んでいる光景もよく見かける。
それらを見るたびに、なぜ優しいことや面倒見がいいと「母親」認定されるのだろうと思う。
ただその人やキャラクターがそういうパーソナリティというだけだと思うし、そもそも男性や男の子に対して「父親」ではなく「母親」になるのはなぜなのだ。
いや、そもそも父親認定も母親認定も不要だと思っているが……。
これは結局「母親」とは優しくて面倒見がいいものだというジェンダーロールの強化や再生産になっているのではないか。そして家族とは優しくて面倒見がいい「母親」が必要であるという家族観に基づくものではないか。
なぜ男性や男の子のキャラクターで優しい子、面倒見が良い子に対して「ママ」や「お母さん」と思ってしまうのか、それはどういう理由からきているのか。
たぶんそこまで考えてない、という人がほとんどだと思う。「お母さんっぽいから」という理由じゃなかろうか。その「お母さんっぽい」がどこからきているのか、というところまで少しは考えてみてもいいのではないのかな、と思っている。

私は面倒見が良いキャラのことを「お母さん」「ママ」というのが上記の点から嫌なので、同じ趣味の人たちがそれらの言葉を使っているところを見ると苦い気持ちになるし、聞こえていなかったふりをしているのだが、それもけっこうしんどい。
そのまま「面倒見が良い」じゃだめなの?「お母さん」という言葉を使う必要ってない気がするな~


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