お墓参り①

BJ始まってからやらなきゃやらなきゃでずっとやってきた
いや、、その前からかもしれない

突っ走ってきて茨城大会当日も近づいてきて
スピーチももう決めなきゃなのに‥
自分が何者かもいまだにわからないし、
何を伝えたいのかもわからない。

そんな自分の状況に焦りを感じている中、
一旦全部止めてみることにした。

3月から自分と向き合って走ってきた私にとって
大会が1ヵ月半を切った今
ガムシャラを止めてみるのは勇気がいった

体がきつい時も眠くてたまらない時も
気絶したように寝る瞬間まで
回らない頭をなんだっけなんだっけと
なんとか回転させて行動してた。

でも私が本当に大切にしている事は
やらなきゃがない先に見えてくる。

ほぼやらなきゃしかない世界から、
止めてみて思うことは

全て自分で作り出してたってこと

自分のことを大切にできない。愛せてない。

自分のことも愛してない人間が誰かを愛せるのか?

大切で大好きな子供たちのことも、
私は心から愛せていないんじゃないかって思ったら、
辛くて悲しくってどうしたらいいのかわからなかった‥

そういえば、私は真剣に子供たちの話を聞いてるだろうか?
そんな余裕もなかった、満たされてない私に気づいた

そんな時に、頼れよ仲間だろって言ってくれる人がいて、環境があって心強かった。前を向けた。

私って本当に満たされてないんだなぁ。
未熟者だなぁ。
いつも愛を与えてもらってたのは私だったんだ。
自分が周りに与えてるつもりでいて、
与えなければ愛されないと思っていて、
そんな未熟な状態だったことに気づいて
そして認めた。

そしたら、
いい意味で諦めがついて、肩の力が抜けたの。

私はずっと、与えられてばっかりの人生は嫌だ!
与える人生を選びたい!って思ってて

それは私が与えることで喜んでもらえたら
心が満たされるからだった。
他人から承認を得ることで、
自信が作られていたからだった。


じゃあどうしてそんな私が作られたのか?

過去を探ってみるとそこに答えがあった。

自由に生きたかった小さい頃の私。
お母さんはほとんど家にいなくて、
たまにいてもダメ出しが多くて
だめなやつだって言われてる気がした。

母は私たち子供をおいて出ていった。

母は他人にどう言われようと、自分の人生を生きてた。

でもそこにある私の中の事実は
寂しかったって言う事実だった。

自分が愛されているのかずっと疑問で、
自分の価値を自分で認められなかった。

今はもう天国にいってしまった母に
思いつきで手紙を書いたら
母へのうっぷんがたくさん出てきた。

子供に寂しい想いをさせる母みたいには
なりたくないって思ってたのに、
自分もいつの間にか母親がしてた行動をとって
しまっていて、そんな自分を許せなかった。

だけど、私は今必死に自分の人生を生きようとしてる

『母はきっと自分の人生を生きる姿を見せてくれたんだ』
そう思ったら感謝に変わった

だから思いの丈を母に伝えるためにお墓に行ってきたんだ。

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