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ふるさと、というと。

ふるさと、とか、地元、とかって、ことばだけ浮かべると、なんだかすごくセピアに映るイメージが勝手にあるんだけれど、わたしは青や、緑がかった風景が真っ先に思い浮かぶ。それは、海とか、田んぼの風景なんだけれど。


わたしは、地元どこ?って言われた時、聞かれた相手によって変えている。
現在住んでいる福岡で聞かれたときは、
「沖縄、石垣島です。」
石垣島では、
「福岡にいました。」
正直、自分でもめんどくさいとたまに思う。
でも実際、わたしはどっちも地元だと思っている。


父親の実家が、福岡にあり、母親の実家が、石垣島にある。小学6年まで、福岡で暮らし、親の離別とともに、石垣島に越した。そして、中高6年間の濃い青春時代を過ごし、大学進学とともに、福岡に戻ってきた。もう、6年が経とうとしている。24年弱の人生のうち、18年弱福岡で暮らしているから、正直、もうわたしに、島は故郷では無いのかもしれない。

それでも、あのキラキラ、ぴかぴかした6年間は、今まで生きてきた短い24年というなかで、すごく大切な時間になっている。楽しくて、仕方がなかった時も、苦しくて、もがいていた時も、あの頃がいちばん濃密だった。今より時間がゆったりと流れていて、今より少しだけ、自分のことがきらいだった。


福岡から、石垣に引越した中学1年の春。
出来あがっているコミュニティに飛び込むのは、かなりの恐怖だった。小学校から、下手したらその前からの、かなり濃い付き合いがある中に、簡単には踏み込めない、そう思っていた。けれど、それではダメだった。踏みこむ以外、手は無かった。わたしの図々しさは、このとき培われたのかもしれない。
そこからというもの、多少怖気付く事があったとしても、あの時以上の恐怖は味合わないと思っているし、案外、周りは受け入れてくれる。


年末年始や、ゴールデンウィーク、お盆、一般的に長期休みが訪れるすこし前に、当時のクラスメイトとのグループラインがごそごそと動きだす。
″○○日〜○○日、石垣居る人〜″
正直、そこで集まれる人たちが羨ましくて、少し、嫉妬した。あまのじゃくなわたしは、「馴れ合いがずっと続いていて、付き合いの範囲が狭いのってどうなんだろう。」そう思っている反面、「あの頃の純粋に楽しかった日々がもう一度過ごせたらどんなに幸せなんだろう。もし時が戻るのなら、あの頃を選択するだろうな。」そう思うこともある。でも曲げたくないことは、今が1番楽しいということ。


「石垣島に帰る」という表現よりも、「石垣島に行く」の方が、気持ち的にしっくりくるんだけれど、積極的に「石垣島に帰る」を使っているわたしとしては、誰かに迎えてもらえる場所であってほしいと思うし、もしいつか、わたしが島に帰る(移住する、と言う意味で)事があるとするなら、いつでも迎えられるようにしたいと思う。


石垣島で暮らした時間がある、それだけで会話ができるし、自分自身の自信にも繋がっているとも思う。

大人になって、沖縄が好き、そう言ってくれる人によく出会うようになった。
ほんとうに嬉しいと思うし、心からそうでしょう、とオススメできる場所であると思う。
そんな島内外で島のために何かしたいと思う同世代は意外と多いらしい。わたしもそのうちのひとりで、今まさに動き出そうとしている。


自分に出来ることをゆっくりと、自分のペースでやっていきたいと思う。





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