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クリスチャン・ディオール展の感想

5/28まで東京現代美術館で開催中のクリスチャン・ディオール展に行きました。
当日券を購入する為、前泊して朝5時に並びました。

感想は、ほんと~に!!行って良かった。人生が変わった。空間に入った瞬間、不思議な事に感動して涙が出た。私はファッションに特別詳しい訳ではない。

なのに、服を観て泣いた。
こんな事は初めてだった。

じんわり伝わってくるものがあった。

これはなんだろうと思っていたけれど

クリスチャン・ディオールは、人類史上で「女性の美」を呼び覚ましたのだと理解した。

彼は服を創るより以前に、まず見たのだ。
女性の美しさを。

女性という生き物が「あ、私達の事をこう見てくれたんだ。うれしいな。ありがとう」という気持ちになった、その審美眼が人の胸を打つのだ。

単なる服作りのうまいファッションデザイナーでは、ここまで人の心を揺さぶらない。

ファッションに詳しくない私の心でさえも感動させたのは、彼の女性に向ける眼差しが優しく美しいものである事が伝わってきたからだ。

彼は、宇宙でそのまま"女性"という生命体を観測した。そして彼女達自身が、美を体現出来るようにシルエットを与えた。

彼はデザイナーではなく、服飾という芸術で女性の美を表現したアーティストだった。

そうやって戦時中であっても

本当はこうである
本来の姿で生きたい

という生命の持つ根元的な願いを叶えた。

この奇跡的な美しい眼差しを持った人類がいた!という真実が、どれだけの生きる希望を与えてくれたのだろう。

今は戦争中なんだから、緊迫感を持って日常を過ごせ、と抑圧されても女性達はそのファッションをやめなかった。

「生きる それはミニスカート」
という谷川俊太郎の詞がある。

やめるもなにも、それが自然なのだから。
やめるのは、自然な生き方なのか、戦争なのか。
どちらだと言うんだろうか。

特に印象に残った白い空間がある。

すごいなぁ。
ここでは何も傷つけられる事がない。
現代社会で生きるように我慢する事も道化を演じる事もない。自分自身で生きていきたいね。

ここに来られて、ものすごく幸せだった。
これを覚えていたら生きていけると思った。

神様は女性をお花として創った。
クリスチャン・ディオールはそれを表現した。

私は自分を女性としてどう認識しているだろう。

自分が花だとすると、私は蓮の花みたいな生き方がしたい。

私は仏教に縁があるので、蓮にシンパシーを感じる。また、蓮が泥から咲くところも好きで、美しいものだけではない、全てを包括するところに生命の奥深さを感じる。

現代社会に生きるからこそ、個人の意識的な選択によって、選び抜かれたもの、咲いたもの、創られたものは、人間の持つ精神性の高さが反映され、神聖さを帯びる。

私も美しく生きる事を選択したいと感じたクリスチャン・ディオール展でした。


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