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痛みの捉え方(忘れてるのに覚えてる)

人間は、忘却の生き物。
なんて言葉を聞いた事がある。

確かに、
日々のあれこれを全て、
覚えておくわけにはいかない。
人間に限らず、動物もそうだろうと想像する。

私は、出産の痛みを3度経験した。

「それはそれは、強烈に痛かったし、
 体がどうにかなってしまうんじゃないかと、
 思うほど恐ろしい体験だった…。」
と、言葉で表現する事は今でも出来る。

しかし、
具体的にどんな痛みだったのか、
体に、感覚として思い起こさせる事は
もちろん出来ない。

 それは確実に、忘却している。

きっと、
体からその感覚が消えた瞬間に、
または、
気持ちの昂ぶりが落ち着いた瞬間に、
人はもう、
体感としてのそれは忘れてしまうのだろう。

そうでなければ、
3度も出産を経験しようとは、
思わなかったかもしれない。
(痛みや恐怖を忘却する事以外にも、
 もちろん理由はあるけれど。。)

一方、
3人の子育てが落ち着いてきた頃から、
私の体では、
慢性的に腰痛が起こるようになった。

痛みが出ては、安静にして治り、
痛みが出ては、安静にして治り、
その周期はどんどん短くなり、
今ではじんわりと、常に腰痛を感じている。

 すなわち、忘却しているヒマはない。

痛みが出始めた頃は、
整形外科に通ってみたり、
整体がいいと聞けば、通ってみたり、
なんとかして、
腰痛の起こらない体を取り戻したいと、
色々調べて試してみた。

“痛みは消さないといけない”と思っていた。

 忘却させなければ、、、。

内臓の病気の可能性も捨て切れないが、
今のところ、
他の症状は見当たらなかった。

それから、さらに年月を経て、
痛みとうまく付き合えるようになってきた。
体の声を聞けるようになってきた、
とも言えるのかもしれない。
(なかなか100%とはいかないけれど。)

何をしたら痛めるのか、
何をしておけば傷めないのか、
色々試したおかげで、
今の落ち着いた状態があるとも言える。

付き合い方が見つけられたら、
常にそこにじわじわと存在している痛みにも、
イラだったり、落ち込んだりする事がなくなった。

そう、
痛みを消したい、
元の身体に戻りたいと、
その道を探すほどに、
落ち込んだり、イラだったり、
新しいストレスを生み出していたようだった。

それに気づくと、
外に助けを求める事が、
不毛のようにも思えてきて、、、。

この痛みは、きっと、
これまでの人生の中で、
その時、その瞬間の私にとっての、
最善の選択をしてきた積み重ねの結果、
知らず知らずのうちに、
負荷を背負わせてしまった私の一部分、
という事なのかも。

そういう捉え方をするようになっていた。

人生も折り返し地点になってきて、
痛みや辛さなんてものは、
もちろん、
消せるものなら即、消してしまいたいけれど、
その道を、ある程度探っても消えないのなら、
一緒に生きてみたっていいのかもなぁ。

これまでで、
1日寝込むほどのキツい腰痛もあった。
でも、
いつのどんな痛みだったかなんてのは、
すっかり忘却の彼方。。。
(言葉で表現する事は可能だけれど、、。)
今の痛みしか認識できないのが現実。

 ちょっと待てよ。。。

“腰痛”を慢性的に抱えているといっても、
日々に波はあるわけで、細かく分ければ、
昨日の痛みの事は、
忘却しているとも言えるのかも。

そんな風に考えていたら、
ちょっと笑えてきた8月の夜。

やっぱり、忘却の生き物だ。
少なくとも私は。


みなさんは、昨日感じたこと、
どれくらい覚えていますか。

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