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わたしはロランス

グザヴィエ・ドラン監督の映画を視聴するのはこれで3作品目だ。『胸騒ぎの恋人』を観て以来、彼の感性に語りかけてくる色彩表現やカメラワークに魅了されてしまい、すっかりファンになった。
『わたしはロランス』は、国語教師のロランスがある日自分の性別に違和感を抱き、これからは女として生きていくと決断するところから始まる。恋人のフレッドにそう宣言するも、当たり前だがすぐには理解してもらえず非難される。しかし、ロランスの最大の理解者でありたいと思うフレッドの内なる葛藤、ロランスやフレッドに降りかかる苦難や幸福、新たな理解者との出会いなど、2人の10年間を描いたラブ・ストーリーである。
以下、感想。ネタバレあります。

ロランスが初めて女性の格好をして教壇に立ったシーン、どういう反応をされるんだろうという恐怖と不安と、それでも女性として生きていきたいというロランスの強い意思と勇気をひしひしと感じてぼろぼろ泣いてしまった。

これは偏見になってしまうのかもしれないけど、女性が“男性的”な格好をするより、男性が“女性的”な格好をするほうがハードルが高くそびえ立っている感覚になる。お化粧をしない女性はたくさんいるけど、お化粧をする男性はまだ少ない。ズボンを履く女性はごまんといるけど、スカートを履く男性は一部の文化圏を除いてほとんどいない。ハイヒールやネイルなど、“女性的”には付属品が多く、身につけていないより身につけているほうが目につく。これまで“男性”として生きてきた彼女が“女性”になるのは、本当に勇気のいる行動だと思う。
自分らしく生きることは素晴らしくて、なにも悪くなくて、本来誰の迷惑にもならないことのはずだ。
これまでロランスを押さえつけていた世間の目だとか周りからの期待、こうあるべきという常識の枷からやっと解き放たれた彼女に賞賛を送りたいし、ただただ幸せに生きていってほしいと願った。

ただロランスが自分に正直に生きていくのと、フレッドとの交際がこれまで通りうまくいくのとはまた別で、すべてがうまくいくお伽話ではないからこそ、この物語はうつくしいのかもしれない。

副題の“愛がすべてを変えてくれたらいいのに”も、観終わったあとにじんわりと胸に残った。ほんとにすべてを変えてくれたらいいのに。
すべての人の生き方を肯定してくれる映画だとわたしは思った、出会えて幸せ!

2021.3.10

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