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安定した人生 or 挑戦の人生 ②

中学校での支援員は、特別支援(情緒)クラス担当。2学期に入り、どんどん増える不適応と呼ばれる子どもたちとのクラス。今思うと、私自身の内面が現実に現れていたのだなと思う。吃音の子に、ADHDの子、通常クラスにいると息苦しく感じる子たち、いつもバドミントンをやったり、お散歩に行ったり、勉強をしたりと毎日学校という場所が楽しくなるように、その子たちが息苦しさを感じない世界を一緒に作り出してきた。

けれども、ある男の子との世界だけ、中々うまくいかなかった。今なら彼の気持ちがよくわかる。きっと私が今、感じている世界が彼にとっては当たり前の世界だったんだろう。

『なんで、チャイムがあってそれと同じように行動しないといけないのか?』

本当だよね。誰かが作ったルールや決まりを当たり前のように守るのが良しとされているけれど、、、そこに??を感じると色々とこの世界って不思議だよね。

その時の私には感じえなかった疑問、同じように当たり前に対して何の疑問も持ち合わせていなかったから、その子との関係性がとっても苦しかった。思うように人をコントロールしたい自分がいて、それに順応してくれない子に苛立っていた。それでも、距離感を置きながらも楽しく過ごせるように日々頑張っていた。

いつの間にか、抱えるストレスがあることに気づいて、次の年は小学校に配置換えをお願いした。そして、学校支援員、通信制の大学生、シングルマザーと何だかとっても頑張っていた。(最近、ホロスコープを見てもらったら、やっぱりここ5年くらい星の動きがすごく活発だったみたい)

小学校の支援員は、一年生担当。とってもかわいい。子どもたち、愛、光のエネルギーが半端ない!いつも元気をもらうくらい!!そして、その小学校、給食中に流れる音楽が、jazzやクラシック、ボサノボなど、とっても心が自由だった。(田舎の小学校でたまたま放送室に色々なCDがあって、何の気なしに子どもたちが選んでかけているっていう、のほほんとした感じが大好きだった)

一年生のそんな中でも、学校のルールに合わせられないと、色々と先生に叱られる状態に、、、叱られた子のエネルギーは光が小さくなってしまう。その子らしさの根っこの光が小さくなってシュンとしている。決まって私はその子の側に行って、大丈夫と声をかけ、その子の光が戻るまで側にいた。だんだん、目が変わって大丈夫になるとまたその子の本来の姿になる。そうやって、色々なエネルギーとの調整ができるようになっていくことが大切だと思った。

以前は、良い悪いの二元性の世界にいた時は、叱ったりする先生や、学校のシステムがおかしいと思っている時もあった。でもそれって、結局ネガティブなエネルギーに同調していただけであって、今は、バランスが大切なんだなって思う。自分の軸をしっかりしていくと、自分の思いとは違うことがあってもそこに巻き込まれることはなくなっていくのだと思う。


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