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安定の人生or 挑戦の人生 ①

安定した収入、毎日やりがいがあるけれど、なんだか少し窮屈に感じる世界。それが私が今選んだ仕事、小学校の教員だ。

もともと、教員免許は持っていたけれど、大学の時に行った教育実習で学校の先生というものが、サラリーマンみたいな先生ばかりに感じ、その場所で働きたい思いは無くなった。

時が過ぎ、結婚をして子どもができ、自給自足の生活に憧れながら田舎暮らしをしているときに、訪れた沖縄の高江地区でのヘリパッド問題に出会った。

そこでは、住民が自分たちの土地で平穏に暮らしたいという思いから、自然とヘリパッド反対の声をあげていた。そして、国からの命で来ている機動隊の人たちの対立を見て、どうにもやるせない気持ちになった。それぞれの気持ちがわかるけれど、どうしてこんな状況が生まれてしまっているのか、私はその構造を変えて行きたかった。その時は、娘が2歳。子育てで手一杯で何かできることが思い浮かばなかった。でも、その時に感じた思いは、「教育」がとても大切だと感じた。

先生や親のいうことを聞いて、国からの命に何の疑問もなく任務を遂行する人たちには、住民の心がわからない人、わかっていても自分の生活のためにと任務を遂行していく人、もしかしたらその状況を見てやめてしまった人もいるかもしれない。でも、根本にある「教育」を変えていくで、この状況は変えていけるのかなと思った。

数年後、シングルマザーになって、鬱になった。実家に戻ってきて、少しずつ親に助けてもらいながら暮らしていけれるようになった。娘が小学校に入り、色々な公立学校でも面白い校長先生がいたりしてメディアにもよく出てきていた。日本の教育も少しずつ変わってきているきがして、再度教育に携わりたい想いが出てきた。2年生になった時に、中学校支援員の仕事の募集があり、教育長に面接に行った時に小学校の先生やらんかね。という一言から、38歳だった私には、年齢関係ないんだ。という思いから、その次の年の春から、小学校の免許を取るために通信制の大学に入った。

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