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失われた日々への追悼

毎朝バス通勤する度に、前に同棲していたマンションの前を通るのが嫌だ。マンションの前には『入居者募集』の青い幟がたっていて今でも私達の部屋(だったもの)は空いているだろうか。

最上階の2DK、築30年で家賃は4万のオンボロマンション。休日の夕方には西日が射し込む薄暗い部屋でふたりでごろごろするのが好きだった。いま思えばあれを幸福と呼ぶのだろう。喧嘩もたくさんしたけれども、思いだされるのは何故か楽しかった記憶ばかりだ。

彼とはもう連絡をとってない。一緒に暮らした8年間がまるで幻のようだ。いつか彼と死別する日が来ることを勝手に想像して涙していた日々が懐かしい。そのまえに私達の関係は終わりを迎えるというのに。恋人であり親友であり兄弟であり家族であった唯一の存在を私は失ってしまった。

私の幼さゆえに彼との関係性を繋ぎ止められなかった自分を今でも毎晩のように責める。破局から1年経ったいまでも心の穴はぽっかり空いたままで塞がる気配もない。そんな私に友人は「心の穴は無理にふさがずに『埋め立て予定地』という看板をかかげておけばいい」と教えてくれた。

きっとこの喪失感や後悔はしばらく消えない。さらば、抱えたままつよく生きていこうとようやく思えるようになったのはつい最近のことだ。圧倒的な孤独を経験し、人と人は異なる他者であることを学び直し、ひとりではなくたくさんの人に頼ることを覚えた今の私なら、彼とうまくやってけるのではと魔が差す夜もある。でも、そんなときはあのとき駄目だったものは駄目だったのだと冷静に自分に言い聞かせる。どうしようもなくお互い大好きだったし、一緒に居続けるために限界まで私達は頑張った。本当によく頑張った。それだけは心から誇りに思うし感謝している。

それでも、時間は戻せない。だから、今世では難しくても、来世あたりでまた出会え直せたらいいなと密かに思う。それまではどうか元気で。

▽同棲していたころの記録


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