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タトゥー彫りたい

落ち込んだときに、いつも電話する東京の友人がいて、先日彼が遥々門司港まで遊びに来てくれた。

「いつも電話口で泣いてるから、どんだけ悲惨な生活を送ってるのかと思って心配してたけど、めちゃくちゃ幸せそうじゃん」といって笑われた。

いつもしんどいときしか連絡しなくて、ごめん。便りがないのはいい便りだと思ってくれと、心のなかで私はそっと彼に謝罪した。

確かに門司港で暮らす今の私はとても幸せでかつてないほど満たされている。愛してやまないシェアメイト、親戚のような街の人達、やりがいのある仕事に優しい同僚、やんちゃだけど憎めないおいちゃん達…色んな人達との関わりの中で私は生かされている。

それでも、頭のどこかで察知しまっている。この幸せがそう長くは続かないことを。今この瞬間だけの奇跡の賜物であることを。いまが幸せであればるほど私は失うことが怖い。幸せと恐怖は常に表裏一体だ。

親はいつか死ぬし、恋人も去る。あれだけ濃密な時間を過ごした友人や昔の同僚も今じゃ疎遠だ。確かに大好きだったのに、もう二度と会うことはないだろう人達のことを考えると、私は時々泣きたくなる。

そんな私の幼い訴えを横から聞いていた年上の友人から「みくるはいつも失ったものや、通り過ぎた人達の残像ばかり追いかけて生きている。今一緒に寄り添ってくれる人達にもっと関心をもて。感謝しろ。」と至極全うな意見を言われた。

それでも「何かひとつでいい、永遠のものがほしいのだ」となかなか食い下がらない私に「タトゥー彫ればいいじゃん」と彼は一言放った。

確かに、と思った。命が尽きるその日まで私は私の身体と切っても切れない関係にある。さらば、私は私に一生寄り添ってくれる御守のようなタトゥーを彫りたい。

でも、痛いのは嫌だな。銭湯いけなくなるのは嫌だな。親に怒られるかな。どこまでも自分に甘い自分を一発ぶん殴ってやりたい。

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