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走ることについて私の語ること

タイトルは言わずもがな村上春樹引いてはレイモンド・カーヴァーからの引用だ。仮タイトルとして置いておき、いざ書き終えてみるとやっぱりこれしかなかった。

日常のルーティーンの中に「走る」という行為が組み込まれている人間であれば誰しもが「走ることについて」自分だけの語ることを持っている。私のそれも平凡で取るに足らないものだから興味を持つ人などいまいと思っている。2024年の現代、日常的にランニングをしている人などゴマンといるわけだし。ひと昔前だったら「一日10キロ走ってます」なんて言ったら驚かれたものだが、そのレベルの市民ランナーは少なからずいるのではないか。というのも、年に一度一時帰国をして世田谷の実家に帰るのだが、マイ・ホームたる駒沢公園の年々膨張するランナーの数には驚く。毎週末祭りでもあるのかと思う。

私のランナーとしての起点は二つあって、ひとつは12歳、もうひとつは24歳。
12歳の頃に「定期的に一定距離を走る」ということを始めた。当時私はバスケットボールをやっていて運動漬けの生活だったから、走るということもそれに付随するように自然に始めた。2キロから6キロを週に何回か。時にチームメイトと、時にひとりで。目と鼻の先にある駒沢公園に走りに行くことだけは夕食後の外出として唯一両親に許されていたから、その特権を利用したかったというのもある。中学から高校になってもその習慣は続いた。高校部活動のへどが出るほどの練習量をこなしながらプライベートでもよく走ったと思う。おかげで勉強などろくにせず風邪をよく引いた。

二つ目の起点は24歳の時だった。私はその頃地方の大学院に通っていて、一人暮らしの6畳間に籠って黙々と研究を続けていた。そして心身を壊した。このあたりはテーマから逸れるので割愛するが、まあそんなことがきっかけで実家に戻った私は「毎日10キロ走る」と決めた。人生の指標を失った私にできる能動的な行為は「走ること」だけだった。よくわからないが、走るという行為はいつも私を「まだ見ぬ良きもの」へと導いてくれるような気がしていた。そしてそれは「たまに10キロ」でも「毎日5キロ」でもなく「毎日10キロ」でなければならなかった。
それから5年ほど、毎日駒沢公園を10キロ走った。毎日。雨の日も雪の日もまったく一日たりとも欠かさなかった。風邪を引いても疲労骨折をしても走った。朝早くからの仕事があるときは3時半に起きて走った。ある日6時間耐久リレー開催のために駒沢公園が通行止めになると知り、そのイベントに一人でエントリーして6時間で65キロ走り通したこともあった。周囲の参加者たちがチームメイトにバトンをリレーする中、粛々と独走した。クレイジーだろう? 今はとてもじゃないけどそんなことできない。でも当時は何かに駆り立てられるようにして走っていた。

私が住まいを決めるときは10キロを快適に走れるランニングルートが近くにあることが条件だ。人生のゲームチェンジを求めてヨーロッパに出てからはライン川沿いが私の新たな相棒になった。
ヨーロッパは大きな川がいくつも流れていて、たいていどの町でも川沿いは信号がなく散歩やランニングに適当だ。朝目を覚ましたら眠気眼でランニングウェアに袖を通し、歯を磨いて顔を洗って日焼け止めを塗り、コップ一杯の水を飲んでランニングシューズに足を入れる。外に出て朝の空気に触れる瞬間が小さな幸福だ。走っているとき、それが駒沢公園だろうとライン川だろうと、私だけの宇宙に音もなく入っていく。私が今ここに生きているということをもっとも実感する。そして声にならない声で私は私自身に尋ねる。
「私は何になるんだろう?」
走るという単純な身体行為はそういう本質的な問いに我々を引き戻す。不思議なことに、走っている時の私は12才の頃と何も変わらない。年齢も肩書も歴史もすべてが無に帰されて個の身体だけがそこにあるのだ。

海外に出てからフルマラソンを走るようになった。去年で3度目。記録は3時間36分、3時間26分、3時間31分ときた。毎回本番1か月前に飛び込みでエントリーして20キロから30キロを何度か練習してハイ本番!シューズは履き古しているけどまあなんとかなるだろう的なテンションで挑み、途中で栄養補給するなんて知らなかった頃は途中まんまとガス欠し、謎の眩暈に見舞われた前回はなんども倒れそうになる体を鼓舞してゴールに押し込んだ。
なんでいつも飛び込みエントリーになるかというと、毎回フルマラソンを走り終わるたびにもう二度と走るもんかと思うからだ。しかし今年はどういう風の吹きまわしか完走直後にもう来年のことを考えていて、こともあろうに世界3大大会のひとつベルリンマラソンにエントリーしてしまった。そして厳正なる抽選に受かってしまった……。ということで今年ははじめて計画的にエントリーしてたっぷりの準備期間が与えられているというわけだ。だからといって今のところ特別なことはなんにもしていない。今日も明日も私は目覚めの体にランニングウェアを通し、朝日を浴びながら走るのだ。「まだ見ぬ良きもの」に向かって。

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