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若き日の思い出(その1)ー母の夢と娘たち

あの頃の私は八方塞がりの日々を送っていた。会社や社会、日本人男性、自分自身にも腹を立てていて、いつも不機嫌だった。自分の将来が不安だった。まだセクハラとかパワハラとか言う言葉もなかった時代だ。給与体系は男女別立てであった。仕事はやりがいなどとはほど遠いものだった。でも日本の外に行けば違う世界がありそうで、いつも憧れていた。だから英語だけはやっておこうと、家賃と食費を引いたらほとんど残らない給与から英語学校の費用を工面した。日本と日本人男性と深く関わらなくていい世界に行きたいの一心で。

日本の女性は男性から対等に扱われていない現実。だから、男性を「この人は女性をどう見ているか。自立しているか。日常生活をきちんとおくれる人か。1人の女性にだけではなく、誰にでも優しい人か」と言う視点で男性を見ていた。男性の母親から家事を引き継ぎ、世話する妻にだけはなりたくないと強く思っていた。とにかく海外に行きたい。それも自分のお金ではなく。と言うことで、日本の海外ボランティアに参加してタンザニアに行った。40人あまりのボランティアのうち女性は2人だけだった。

そこで見た日本人男性ボランティアの実態。みんなあまり楽しんでいるようには見えなかった。2年の任期が早く終わることを待ち望んで望郷に浸っているようだった。しかも日常を快適に送るスキルもなさそうだった。料理、掃除、洗濯まともにきちんとやれていた人はどのくらいいたんだろう。外国の男性ボランティアのパーティーに何度か呼ばれた。彼らもさほど変わらぬ暮らしぶりだったが、自分で手料理を作りもてなしてくれた。最後にはアイスクリームのデザートまで。

ああ、外国の男性と結婚したいとその時思った。でも私は、「人間は言葉に出して表現しなければ理解し合うことはできない。」と信じていた人間だから、「言わなくてもわかるだろう」と背中でもの言う日本の男みたいな考えは受け入れられなかった。だから自分の微妙な感覚や感情を繊細に言語で表現できないことは嫌だった。外国人男性に憧れてもそれ以上のアプローチをすることはなかった。自分の言語能力では不十分だったから。

任期もあと8ヶ月を残すころ、夜の飲み会を終えてオートバイ(当時の足)で自宅に戻る途中、私は転倒した。その頃、夜の帰宅に必ず伴走してくれる人がいた。家の前まで送ってくれて帰って行った。親切な人だなと思っていたが、突っ張っていた私は、当たり前のこととしてとらえていた。そんな人の前で転倒したことは、すごい屈辱だった。「誰にも言わないで」と約束させたけど、唇を切って「たらこ唇」のようになっていたので、さすが次の日は職場に行けなかった。すぐ上司が訪ねて来て、バレた。その時伴走してくれていた人が、街に唯一あったイタリア料理店からチョコレートケーキを持って見舞いに来てくれた。

その人が今の夫である。彼とは良く市場で出会っていた。朝取れたマグロなら刺身で食べても大丈夫と言うことも教えてもらった。天ぷらやラーメンを作ってもてなしてくれた。ラーメンは豚足から取った本格スープだった。誕生日には、例のイタリア料理店に誕生ケーキを注文し祝ってくれた。当時のタンザニアはスーパーに行っても買うものが無いほど生活物資が欠乏していた。彼は、他の日本人男性と違って、きちんと日常生活を営み、生活を楽しんでいた。3食きちんと食べ、身の回りを清潔に維持し、余暇は現地の人に柔道を教えていた。そこで友達になった人から食事に招待され、私もご相伴にあずかった。家庭料理はやっぱりおいしい。

結婚し、マレーシア・サラワク州(ボルネオ島)に赴任し、3人の娘が生まれた。彼女たちに言ってきたことは、「経済的に自立すること」「美貌より知性の方が大事」「男女は平等。家事は母親の仕事ではないこと」「家の中で快適に暮らせると言うことは、誰かがそのために働いているということを忘れないで」ということ。

彼女たちは、母が憧れていたバイリンガルで、アメリカで教育を受け、就職し、アメリカ人と結婚した。若い頃の私がやりたかったことを全部実現した。娘たちは、「結婚か仕事かの時代」の私と違い、「結婚も仕事も子供も」全部手に入れ、自分流に暮らしている。そんな娘たちの不満は、彼女たちの夫のこと。家事でも育児のことでも、「何か手伝おうか」と言われるとムカつくそうだ。手伝うということは、あくまで自分の仕事と考えていないからだと。その意識が変えられないと。そして3人が口を揃えて言うことは、「お父さんが理想の夫」だって。

でも娘たちは知らない。育児に振り回されていた時、ゴルフバッグを持って出かける夫に「私が子供の世話をしている時にあなたは遊びに出かけるの」と怒ったことを。夫はその時からゴルフをやめたこと。そしてその後ゴルフは全然上手くならなかったこと(現地の日本人会では「奥さんの許可をもらわないとゴルフができない」などとささやかれたらしい。男中心の狭い社会で、夫はどんな心境だったのか?)

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