今日ときめいた言葉2 ー「言葉なんか覚えるんじゃなかった」ー言葉の力、信じますか?
(2022年9月16日付 朝日新聞「ことばの暴力と無力 それでも」鷲田清一の言葉から。「折々のことば」2500回に寄せられた氏の寄稿文)
鷲田氏の寄稿文からは、昨今のことばの現状を憂いてはいても、ことばの力をあきらめてはいない思いが伝わってくる。
「口を塞がれても、ことばを失っても、表現が追いつめられているだけで、ことばの可能性が根こぎにされたわけではない。ことばを失いかけていることをはじめて、そしてもっとも痛切に知らせるのもことばだったし、ことばにうなだれる声をもっとも繊細に伝えてきたのもことばだった。」
帰途 田村隆一
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか
あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ
あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう
あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる
この寄稿文で紹介された詩「言葉なんか覚えるんじゃなかった」は、逆説的な表現で言葉の持つ力を端的に語っている。他者の悲しみや痛みを感じてしまうのは言葉のせい。そのせいで自分の心の平穏が失われる。だから言葉を知らなかったらどんなに良かったかと。でも実際は言葉のおかげで他者の悲しみや痛みがわかり、それに寄り添い引き受けることもできる。そんな意味だろうか?
ことばに傷つき、ことばで拒否され、ことばで抵抗して、ことばで挫折しても、ことばに励まされる。そして、そのことを省みて表現したり伝えたりするのも、やはりことばなのだということ。我々は、このようにことばの力に支えられて、生きているのだ。
結局、我々は、どんなことをしても言葉からは、離れられない。上記の詩のように、「言葉のせいで」「言葉のお陰で」苦しみと喜びを味わいながら、ことばと共に生きていくのだと再確認した。
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