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今日ときめいた言葉189ー戦争認識「悲惨な被害体験 弱い加害意識」

(2024年7月27日付 朝日新聞 「戦争認識 抜け落ちたもの」歴史学者 宇多川幸大氏の言葉から)

戦後日本の平和主義は、自分たちが受けた悲惨な被害体験がもとになっているが、自分たちの加害意識が希薄であったという。

(確かに。私の母も戦争体験者で東京の下町での悲惨な出来事をよく語っていたが、日本軍がアジアで何をしたかについては全く認識がなかった。彼女の兄はボルネオ島で戦死しているのに、彼女の思考はそこで停止している。おそらく銃後の人々の意識も彼女とあまり変わらないのではないかと思う)


日本人の戦争認識から何が抜け落ちているのか?それは何故なのか?

宇多川氏曰く、

ー 戦後、戦争体験者が語ることで反戦平和の声は高まったが、日本が再び戦争に巻き込まれなければいい、という自己中心的な側面があった。 (それは戦争体験者がいなくなれば、その反戦平和の声も力を失うことを意味する)

ー 日本の政治、社会の戦争への関心は満州事変以降に集中し、これらの戦争を批判的にみる一方で、それ以前の日清、日露戦争などを問題視しない傾向が強かった。

ー 司馬遼太郎は彼の小説で、明治を栄光とロマンの時代として描き、日露戦争を小国日本がロシアの脅威に立ち向かったものだと捉えた。しかし、そこには戦場となり、植民地支配された側の視点はない。小説は人々に大きな影響を与える。明治以来のアジアに対する日本人の優越意識は清算されず、侵略や植民地支配の責任を自ら問うこともしなかった。


(確かに、1980年代になっても日本人のアジアの人々に対する傲慢で尊大な意識は続いていた。それは随所に感じられた。マレーシアに10年住んでいて日本人(私も含めて)の上から目線を肌で感じていた。そもそも日本のODA政府開発援助はアジアの国々が受けた日本の戦争被害に対する賠償支払いから始まったのに、「紐付き援助」などと言われるように日本が潤う仕組みになっていた。他国と比べ日本の援助は借款が多かった。これに対する批判がアジアの各国から噴出し今ある形になった経緯がある。日本も今の中国みたいなことをやっていたのである)


ー 東京裁判でも天皇の戦争責任はアメリカの意向で追及されず、天皇制国家が無謀な戦争に突き進んだ構造は解明されなかった。

ー さらに裁判では、中国や東南アジアより欧米の戦争被害が中心に扱われ、対米開戦に至る過程が重視され、日清、日露戦争や植民地支配は問われなかった。

ー 裁判が終わると報道も減り、一気に関心が失われた。どのような国際法上の考えに沿って裁かれたのか。基礎的な知識が共有されず、結果、戦勝国による一方的な裁きだと、裁判を否定する言説が生まれ、それを信じる人がいる。

ー そして、加害責任を軽視する安倍政権による談話は、日露戦争が植民地下のアジアやアフリカの人々を勇気づけたと述べているが、朝鮮の植民地化については述べておらず、日本の近代化を自画自賛する甘い認識であった。

ー 談話で「子や孫、その先の世代に謝罪を続ける宿命を負わせてはならない」と述べているが、謝罪の要否を決めるのは被害者であり、戦後責任は直接戦争に関わっていない世代にもある。だが、「謝罪を続ける宿命を負わせてはならない」という主張を支持する意見が多数を占めている。

ー メディアの役割は重要であるが、政権に忖度し加害責任を問うものが少なくなっている。

ー さらに、「時間切れの現代史」と言われるように、高校で戦争や植民地支配のことを教えられていないことからくる知識不足が目立つ。知識がないままネットやSNSに広がる歴史修正主義にさらされている現状は危険である。歴史教育の重要性を感じると。

(また8月がやって来て、お決まりの追悼式典をやり、戦争体験者だけが心の痛みを噛み締める。体験者がいなくなった時、本当にこれらの式典は形骸化する。メディアの情緒的な報道にもうんざりする)

戦争は8月15日に終わったのではないとメディア史家の佐藤卓己氏は言う(同朝日新聞) 9月2日が国際法上の終戦であると。ロシアにしても中国にしても9月3日を戦勝記念日にしている。日本は臣民に向けた玉音放送のあった日を節目としているが、そのこと自体が内向きであると。

この玉音放送の前で涙する国民の姿をメディアは繰り返し流し、それが国民の集合的記憶として共有されたのだと。「悪しき戦前」、「良き戦後」の断絶史観は外国と共有されていない。佐藤氏はその内向きさと情緒性を省みて、理性的で対話的なジャーナリズムを構築すべく、9月2日を「平和を祈念する日」として戦争責任や加害の事実に冷静に向き合い、諸外国と歴史的対話をする日にしてはどうかと提案している。

「歴史のポリティクス」が過熱している今、中国やロシアが切る歴史のカードに対峙するためには、敵対性を討議性へと導く外交の技術が必要である。歴史の対立の存在を前提にして、どのような対話が可能なのか模索を続ける必要がある。戦争の記憶の問題に果たすメディアの役割は、未来志向のものでなければならないと佐藤氏は語る。

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