「子供が可愛い」と思える日が来るなんて・・・ね〜!!
独身時代も結婚してからも「子供が可愛い」なんて思ったことなかった。電車で騒いでいれば、これ見よがしにその子をにらんだし、レストランで子連れが隣にいたら席を替えてもらった。公共の場で子供を騒がせるのは親の教育がなってないからだ。そもそも連れてくるもんじゃない、なんて偉そうに。
結婚して3年後、夫と共にボルネオに赴任して、上司の秘書兼通訳として働いていた。バリバリ(?)働いていた時、妊娠した。これからと言う時に!ガーンと全てが閉ざされた思いだった。無性に悲しくて涙がこぼれた。お腹が大きくなるにつれ、事実を受け止めないと仕方がないと徐々にあきらめがついた。それでも出産後、涙がこぼれて仕方がなかった。軽い産後うつ?
第一子ができてしまったら、こんな僻地では寂しかろうと必死になって第二子を作り、オーストラリア子連れ留学で挫折した心を埋めるために第三子まで作った。全て女の子!三人のママになっても子供に対してそれほど強い感情=愛情?を持っていたようには思えない。いや、感じる余裕がなかったのかもしれない。
私は彼女たちが早く成長して、私と言葉で会話できるようになることをひとえに願って育児をしていた。だから「赤ちゃん言葉」なんて使わなかったし、「いつまでも赤ちゃんでいてね」なんてことはさらさら思わなかった。スポック博士の育児書でかなり機械的に育児をしたと思う。泣いた時は「空腹、オムツ、痛み・熱または病気」と指差し点検のように。
親戚のおばちゃんが「そうでちゅよ。なんでちゅか」などと言った日には、うちの娘たちはゲラゲラ笑っておばちゃんをからかっていた。「おばちゃん、それチューチュー言葉だね〜」なんて言って。
娘たちは母の願い通りおしゃべりすることが大好きな子に育った。みんな一斉に話したがるので、手を挙げて指名されたら話すと言うルールを作ったくらいだ。
「18歳になったらみんな家を出ていくのよ」と言って育てた。親元で子供を見るのはその年までだと、独断と偏見で決めていた。「どんなことがあっても経済的に自立しなさいね」と言うことも忘れなかった。
私が娘たちの親であることを実感するのは、彼女たちが幸せでない時だった。そのことが引っかかってどうしても私の気分も晴れなかった。彼女たちが幸せでないと私も幸せになれない。自分ではどうしようもなくコントロールできない感情だった。
幸いみんな自立していて、自分で判断ができ、私たちが心配するようなことはなかった。大学や仕事、パートナーを決めるときも家を買うときも全て自分が決定し実行した。私たちには事後報告だけだった。
そんな中、長女が博士号を取得しポスドクをしていた時、妊娠が分かった。彼女はトイレで泣いたそうだ。「ウーン、その気持ちよくわかる!」彼女は子育てしながら実験用のネズミちゃんたちの世話をする余裕はないと研究職を諦め就職した。
今、長女は四人、次女は三人の子供がいる。三女はかつての私と同じで子供は嫌いらしい。私が変わったのは、この七人の孫の誕生からである。可愛いという感情が湧いてくるのである。頭ではそんな自分を冷ややかに見ているのだが。「人は変われば変わるもんだ」とみんなに言われる。「まさかあなたがこんなにメロメロになるなんてね〜」とすっごくバカにされる。
この感情は孫たちによって植え付けられたのだと思う。いや娘たちを育てていた時にもすでにあったのかもしれない。ただその時は余裕がなくてこんなにハッキリ自覚できなかっただけなのかも。
本を読んだり、学習したりなどでは決して持てない感情だと思う。親性❣️(母性+父性?)ー子育てをすると誰の脳も変化してそれが生まれるらしい。自分の子育ての時に感じられなかった分を取り戻そうと、必死に孫へ愛情を注ぎ、その可愛らしさを手放しで感じている。
今日、公園で私の目の前で小さな男の子が転んだ。その子が起き上がるまで足を止めて待ってしまった。「ガンバレ」なんて声をかけたりして。起き上がったらその子が手を振ってくれた。手を振りかえしながら、私は一体何をやってんだかと冷ややかに見つめるもう一人の自分がいた。
私のAmachanは、「おばあちゃん」が言えなかった孫たちがつけた呼び名だ。
でも今は「甘ちゃん」かもしれない😅
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