「桜田門外ノ変❗️」水戸浪士の足取りを辿るー北品川から外桜田門まで
水戸浪士が大老井伊直弼を暗殺した「桜田門外ノ変」。その水戸浪士の足取りを辿ってみた。
何故?それはイーオットが「テーマに沿ってそれにゆかりのある道を歩く」というグループのメンバーで、次回のテーマ「桜田門外ノ変」のリーダーを務めることになったからである。どこにトイレがあるか、食事できる場所があるか、距離数はどのくらいかなどをチェックするための下見である。今回は全行程20キロだった。
桜田門外ノ変はドラマなどでよく見聞きしているので、開国派と攘夷派の争いくらいの基礎知識はある。もともと幕末から近現代までの歴史は大好きなので興味もあった。
暗殺を企てた水戸藩士は脱藩してことに及んでいる。出発地は東海道の起点北品川。水戸浪士は、ここにあった「土蔵相模」と呼ばれた料亭で今生の別れの酒宴をした。その後愛宕山に集結し、桜田門に向かった。今はファミリーマートが入るビルになっており料亭跡地の掲示板のみが建っている。
品川は東海道の宿場町だっただけあってよその商店街とはちょっと違って、歴史を感じさせる。街の一角には品川の歴史を説明してくれる観光案内所があった。
港区内には、攘夷派を刺激した西洋各国の公使館があった。英国は高輪、フランスは三田、オランダは芝にある寺にそれぞれ公使館を置いた。今はその跡地に以下のような掲示板が建っているだけである。
品川からはかつてすぐ海が見えたようだが現在は埋め立てや高層ビルの林立ですっかり景観が変わってしまっている。それでも釣り船や釣り宿が海に近いことを感じさせる。
品川から高輪に出る。高輪は我がイーオットの生誕の地である。図らずも過去の思い出を振り返る下見にもなった。
宴の後、水戸浪士は愛宕山に結集して江戸城桜田門に向かった。愛宕山は高台になっているので当時は遠くまで(江戸城まで?)見渡せたのだろう。ここにはNHKの放送博物館がある。
江戸城外桜田門に到着。
井伊直弼邸は、江戸城の堀を挟んだ所にあったので、目と鼻の先で殺害されたことになる。
同じ東京都でも片田舎に住むものが見ている風景と港区界隈の風景は大きく違う。高級そうな住宅が立ち並び、街並みも整っている。もはや「Always 三丁目の夕日」の舞台になった愛宕界隈の雰囲気もない。昭和は遠くなりにけりである。
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