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今日ときめいた言葉45ー「これなんか変じゃない?」

どこが変だか気がつきましたか?

高尾山で見かけたサインボードだそうです。イーオットの呼びかけに三女が、

「はは、ニュアンス?『自分のゴミ』っていうよりは『ここのゴミを持ち帰って』って感じだね。そこにあるゴミを全部持ち帰れ」

と言っているのかな(笑)と反応。二女が、

“Please take your garbage home. “

かな?と反応。

私たち日本人が苦手とする冠詞「a」と「the」
でもあなどってはいけない。こんな小さな言葉でも上記のような意味の違いを引き起こす。私などいまだに正しく使えない。

私が英語を学んできて実感しているのは、これは文法というものを機械的に覚えるだけで、「ネイティブスピーカーの言語感覚、認識の仕方、発想」として理解しない上、それらを自分の中で意識化していないことからくる間違いなのではないかということだ。

文法はその言語の論理と意味に深く関わっている。「『(英語)文法』とは、ネイティブと同じ見方に立って英語を見ること」と言っているのは、大西泰斗氏である(2022年2月3日付朝日新聞)つまり、文法はネイティブの母語に対する考え方を表したものなのだ。

だから学校で英語文法を学び知識として持ってはいても、それが表層的な次元で留まっているので、微妙な英語文になる。

日本語は省略できる言語である。極端な話、「食べた?」「うん、食べた」これだけで、会話が成立する。主語も目的語もいらない。二人の間では何を食べたのかは了解済み。お互いが了解している事柄はどんどん省く。スペイン語やポルトガル語にもその傾向があると学んでいて気がついた。だが英語は違う。「誰が」「何を」「どうする」と全て文の中で言い表さないといけない。

「ゴミは家までお持ち帰り下さい」

この文を書いた人の意識の中では、「私とあなたの間の会話」であるから、「ゴミ」は当然「あなたのゴミ」のことである。だから省いてしまう。日本語ネイティブの発想。

でも英語というのは、まさに日本人が意識の中で省いてしまう部分にこだわる言語なのだ。だから英語を学ぶ時、文法を通してネイティブの発想を理解する必要があるのだ。日本語ネイティブの発想のまま英語文を作成すると、英語ネイティブがこだわる部分でつまずく。つまり「ゴミ」といってもどのゴミなのって。

学生時代、文法は退屈な授業だった。でも、ネイティブスピーカーの考え方が詰まっているのが文法なんだよというアプローチをしたら、「彼らはそんなふうに考え、表現するのか」と彼我の違いが分かって文法がより身近にならないだろうか?

最後に極めつきの間違い英語

“Don’t avoid hard training “ 
コロナワクチンの自衛隊の接種会場の全てのブースに貼ってあった。

言いたかったことは、
「激しい運動は避けましょう」

だろう。でも、これでは「避けてはいけない」となってしまう。
これはさすがに命に関わりそうなので、医師に告げたけど、2回目受けに行った時は、

“Avoid hard training “
で、“training “の訂正はなかった。”training “が何を意味するかまでは考えなかったのだろう。二女曰く、「ジムかどこかで運動するということなのかしら⁈」

“Avoid hard exercise “(とすべきかな)


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