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㊗️仙台育英高校優勝!ー「白河の関越え!」

(写真はtabi-mag.jpから転載)

高校野球のニュースを見ていてこの言葉を聞いた。決勝戦で宮城の仙台育英高校と山口の下関国際高校が対戦予定で、仙台育英が勝てば「白河の関越え」だ、と。そんな悲願の言葉が東北の高校間で交わされていたことなど全く知らなかった。

そもそも白河の関とは、五世紀頃に蝦夷(えみしー大和朝廷に服従していなかった人たちのこと)の南下を防ぐ砦であったものが、その役目が終わりすっかり忘れられていたのを江戸時代白河藩主だった松平定信が再構したようだ。

古代より色々な歌人が「白河の関」を詠んでいるが、そこまでが都の勢力範囲の北限みたいに思われていたからだろう。だから「白河の関」は当時の人には一つの目標あるいは目的地のような存在であったのだろう。有名な句に能因法師の

都をば霞と共に立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関

があるが、能因法師は実際には来ていないらしい。「奥の細道」でも芭蕉は古人にならって「白河の関」を越えることを目標にしている。

「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。(中略)やや年も暮れ、春立つる霞の空に白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心くるわせ・・・」

そして、明治維新では、奥羽列藩同盟は薩長軍と戦い、敗北し朝敵と言われて苦難の道を歩んだ。明治以降は「白河以北一山百文」つまり東北地方は「一山百文」程度の値打ちしかないなどと言われてさげすまれた。奥羽列藩の中でも会津藩は辛酸をなめた。以前、会津の人が山口県(昔の長州藩)の人と婚姻関係を結ぶことに対しては抵抗があったと聞いたことがある。

そんないわく因縁のある「白河の関越え」。長い月日を経て長州勢に対して奥羽列藩はこんな形で雪辱を果たした、のかな?奇しくも対戦相手が山口県の高校だったなんて、因縁みたいなものを感じます。

「仙台育英高校の優勝はうれしいという言葉では足りない。恐らく東北の人間でなければ感じられない喜びの感情がある」と仙台出身のコメンテーターが語っていた。東北6県の人は、そんな感慨を持ってこの優勝を祝ったのだろうか。

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