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今日ときめいた言葉62ー「なんで学校に行かないといけないの?」に答えられますか?

(2023年7月15日付 朝日新聞 「『素朴な疑問』が刺さる」から五味太郎氏の言葉)

子供にこのように尋ねられたらなんと答えますか?

学校教育にあまり期待をしていない私だけれど即答は難しい。私は下記の記事「再び日本の学校教育について〜人生で必要なことは、ほとんど家庭で教えられる」で、次のように書いた:

「私にとって学校教育とは、子供が生きるための知恵やスキルを学ぶための選択肢の一つである。それ故、むしろ精神形成の過程で、学校教育から受ける悪影響や一方的な意識の刷り込みを恐れる」

幸い(と言って良いのか⁈)我が娘たちからは、「なんで学校に行かないといけないの?」と言う質問はされなかった。入った学校が好きで学生生活を大いに楽しみ、視野や知識を広げ、学ぶことの喜びを知ったようだ。そして、「自立して生きて行ける」と私が思えるまでに成長して家を出て行った。


五味太郎氏は、このような「子供の素朴な疑問」について、「将来のため」とか「大人になったらわかる」なんて分かったフリをして答えてはいけないと諌めている。この子供の疑問をどう受け止めるのか

「大人が試されている」

のだと言っている。だからこのような根幹に迫る疑問に安易に答えるべきではない。そもそも当の大人だって「学校に行く意味」についてうまく答えられない。だから大人も分からないと正直に答えて、その疑問を共有したらいいのだと助言している。

五味氏はさらに以下のように続ける。

「子供が物事の根幹に迫るような質問ができるのは10歳ぐらいまでではないか」

そのくらいの年齢までは、社会というものに対してまだ無頓着で自分という個人の範囲で物事を考えている。やがて時間とかルールとかの社会の枠組みを押し付けられて社会性を身につけていくと素朴な疑問を感じなくなるのだと。

子供は、素朴な疑問を持ちながら素朴に行動する。それはやがて自己発見につながる。だから大人はじっと見守っていて欲しい。世の中が不安定なのは、自己発見ができないまま自分の本質に合わない仕事をしているからである。自分の本質に合った仕事なら楽しいはずだ、と。

「今の日本の教育環境は子供を育てるのに良いものであるのか」ということが、五味氏の疑問だそうだ。大人も子供の素朴な疑問を共通してもっていた方がいい。そうすることは思考停止になっている社会の運営のために必要であるといっている。

子供に「素朴な疑問」をぶつけられたら、もうちょっと真剣に受け止めよう。今となってはそんな疑問も湧かなくなってしまった私たちに、もう一度考えるチャンスをくれたのだと思って。オードリー・タン氏の言うように子供を「生物学的年齢」で判断せず、対等な一個人として向き合えるか否かは、私たち自身の問題なのだと思う。

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