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死の間際の「ママ、ごめんね」の意味ーシングルマザーの子供虐待・殺人事件の記事に書かれていないこと

餓死状態で亡くなる直前に子供が母親に残した言葉ー「ママ、ごめんね」。何がごめんねだったのだろう。5歳の子供のこの言葉が心から離れない。

子供の虐待死やシングルマザーによる殺人事件の記事に出会うたびにやりきれなさを感じる。親に虐待され、殺されるまでに味わったその子の恐怖や苦しみを思うとただただ胸が痛い。

この世に生を受けて、短い生涯を閉じた多くの子ども達。生きることの何たるかも知らずに逝ってしまった。

かたや、自分の子供に手をかけた母親の狂気。尋常ならざる精神状態にまで追い詰めたものは何なのか?

記事には、直接危害を加えた側と加えられて傷ついたり亡くなった子供についての記述はある。でも、その子供のもう1人の親である父親についての記述がない。加害者になった母親を糾弾するだけで終わらせてしまっていいのだろうか。そこに父親の責任はないのだろうかと記事を読むたびに思う。

別れた妻の元で暮らしていようと、その子にとってはただ1人の父親であるはずだ。子供と一緒に暮らせなくても、子供の暮らしぶり、成長が気にならなかったのだろうか。それより何より、自分がこの世に送り出した子供の生命を守るという責務に、無関心でいられたのだろうか。子供の死に対して、親としての自責の念は感じなかったのだろうか。

私は、父親についての記事が読みたい。



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