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男前証明写真

俺は取引先での打ち合わせを終えて最寄の地下鉄の駅に向って歩いていた。地下街に降り改札に近づいたところで、「どこかで飯でも食って行くかな」と思いあたりを見回すと、大きな文字で「証明写真」と書かれた機械がふと目に留まった。

(そうか、そう言えばパスポートが来月切れるんだったな … )

時間もあるのでその証明写真ボックスでパスポート用の写真を撮って行くことにした。改札の近くなのでその写真ボックスの周りには待ち合わせをしているような人が何人かいたが、幸い中で写真を撮っている人はいないようだった。

俺は写真ボックスの中に入りカバンを足元に置きコートを脱ぐとカーテンをビシッと閉めた。密室ではあるが、カーテンは腰くらいの高さまでなので、足の横は空いており、外を行きかう人の足が見える。

俺はボックスの中で椅子に座りながら、やや腰を浮かせてその椅子を右手でクルクルっと回して鏡に映る自分の目の高さを合わせた。この辺は慣れたものである。俺の目は鏡の中の基準線にピタリと合った。完璧である。

鏡の中の顔が少し疲れているように見えたので、俺は少し笑って見た。パスポートの写真とは、むこう10年間付き合わなければならないので、できれば少しでも良い顔で撮りたいと思うのが人情である。まあ、こんなもんだろう。仕事中なので服装もまあ堅目である。

「よしっ!」

俺は財布から千円札を取り出すと紙幣挿入口と書いてあるスリットに入れた。野口英世の顔が音もなくスルスルっと機械に吸い込まれて行く。

「よしっ!」

いちいちうるさいがお許し頂きたい。

直ぐに目の前の画面に「メニュー」と言う大きな文字と一緒に、色々な撮影コースが表示された。確か次の様な感じだったと思う。

・ハイクォリティ・モード(背景変更可)
・標準コース
・美白コース(レベル別)
・素肌コース(レベル別)
・男前コース(レベル別)

(なるほど、証明写真の画像加工も細分化された訳だな .….. しかし、随分細かいな …… )

プリクラ世代なら抵抗がないのだろうが、我々はどちらかというとキャバクラ世代である。こんなに選択肢を出されても困るのである。

最近のプリクラ写真には、驚くような加工がされてまるでCGかアニメのような顔になったり、実際の三割増しぐらいで足が長くなるようなものがあるのは知っていた。

(でもこれは一応は証明写真なのだから、まさかそれほど驚くような加工をされることはないのだろうな … )

俺はそう考え、じゃ折角ならばと、画面の「男前コース」のボタンを選んで押して見た。

するとである。突然スピーカーから女性の大きな声で、
「男前コース!.....ですね?」
というセリフが大音量で鳴り響いたのである。完全にこのボックスの外にいる人にも聞こえるボリュームである。

(うわー、なんでそんな大きな声で、そんな恥ずかしいコース名を!)
と俺が思うと同時に、写真ボックスの前にいる誰かが「ぷぷぷっ、男前コース!」と言ったのが聞こえた。

たまにレストランに、大の男が注文するのが恥ずかしいような名前のメニューがある。例えば、「ミッフィーちゃんのケーキセット」みたいなヤツである。恥ずかしいので声を出さずにメニューの写真を指して「これ」と頼むのだが、たまに周りの人に聞こえるような声で復唱するウェートレスさんがいる。

「では、ご注文を復唱します。」
「え!?」
「ミッフィーちゃんのケーキセットをおひとつ、お飲み物はミルクティーでよろしかったでしょうか。」
「は、はい …(←声、ちっちゃい)」

今回の写真ボックスも正にそんな感じである。そこ復唱しなくてもいいのに。

しかし判っている。気にすることはないのだ。外のクスクス笑いは、この写真ボックスのコース名「男前コース」という名称に向けられたものであり、決して俺に向けられたものではないのである。いいのだ。気にしない、気にしない。俺は画面の「はい」のボタンを押した。

すると次に、「レベルを選んで下さい」という文字と共に「+1」、「+2」、「+3」というボタンが画面に現れた。

俺はちょっといやな予感がしたが、「+3」のボタンを押した。

するとである。また、機械の中のお姉さんがとてつもなく大きな声で、
「男前レベル、3段階アップ!…… ですね?」
と言ったのである。

写真ボックスの外からは「うそー! ぷぷぷっ」という声が聞こえる。

今度は微妙である。これは、なんか恥ずかしい。小さな個室の中でこっそりと男前レベルをアップしようとしているのがバレてしまった感じがする。鏡の中の俺の顔は男前レベルよりも、赤味レベルがアップしているようだった。

しかし、こうなると乗りかかった船である。もう後へは引けない。
(もう、余計なこと言うなよ … )
俺は心の中で思いながら、「はい」のボタンを押した。

幸いお姉さんは無言だった。

***

その後は普通の撮影の段取りだった。そこからお姉さんは俺を辱める系のよけいなセリフは言わずに、「目の高さを確認して下さい」や「撮影は二回行われます」、「準備が出来たらボタンを押してください」などの写真屋さん的な説明に終始したのであった。

その後、何回かフラッシュが光って撮影は終わった。そして画面には何枚かの写真が表示された。複数の撮影画像から選べるだけでなく、「男前加工の度合い」もここで再度設定できるようだった。

俺はおそるおそる、画面の中で一番写りが良さそうな一枚を選ぶと指で触れた。お姉さんは無言だった。

もうこうなったらいっその事、「確かにそれが一番男前 …… ですね?」くらい言ってくれれば面白いのだが、さすがにそのような事はなかった。しばらくするとお姉さんは最後に事務的な口調で「写真は外側の窓に出ます、機械の外でお待ち下さい」とだけ言うとそれきり何も言わなかった。

全ての工程が終わったようだった。俺はいそいそとコートを着ていざ外に出ようと思ったのだが、どうもなんだか写真ボックスの外に出にくいのである。

「男前レベル3段階不正アップ現行犯」
そんな言葉が頭をよぎる。

なんとなく不正の現場を押さえられたような後ろめたい気持ちがして、ボックスの外の人と顔を合わせたくないのである。しかしいつまでも外に出ない訳にもいかないので恐る恐る外に出た。

自意識過剰すぎた様である。もう外に人はいなかった。ほっとした俺はコートのポケットに手を入れると、やや期待しながら男前証明写真の出来上がりを待った。

数分すると機械の横の窓からゆっくり写真が出てきて、「コトン」と音を立てて受け口に落ちた。取り出して見ると、それほど男前ではないいつもの俺が微妙な半笑いをしていた。

俺は「ま、そりゃそうだよな … 」と呟くと、地上へ続く階段を上った。

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