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当たり前のことを大切にする

仙石原のすすき草原をゆっくり歩く。
まっすぐで、なだらかな登り坂に
だんだんと息があがる。

せっかくの景色だというのに
転ばないように足元のジャリばかりみて
目の前の一歩に必死である。

「やれやれ、
人生の縮図でしょうかな?」

という声が
聞こえた気がするが
あたりを見ても
ススキが風に揺らいでいるだけだった。

標高のためか
台風のためか
あれだけ暑かったのが嘘のように
ひんやりした風が吹いている。

最近は空の青さが
いよいよ透明度を増して
高く澄んできているから

今日も晴れていたら
さぞ
『映え』ていただろう

とも思うけれど

体感的には曇天でちょうど良かった。

『人が創作した美しい何か』に憧れて
どれ自分もマネしてみようかな
とする試みも可愛いだろう。

でも、

自分の快適さが
 同じところにあるとは限らない


たしかに。
群生しているススキは美しいけど
だからといって
私も同じように人と群れたら
だんだん弱ってしまうな。

そう思いながらも、
ススキにカメラを向けてみるものの
撮れる構図はなんとも微妙なものばかりだった。

「学ばないね、ほんと。」
「だって綺麗な写真が欲しいんだもん」
って。

「『そういう写真』を撮ってやろうなんて思うから、何度撮ってもイマイチなんだよ。ほらね、ダメダメ」

「だいたい頭(ズ)が高いんだよ。もっとこう、自然の美しさへの畏敬はないの?」

そんな風に
ススキにダメ出しされてもなお
諦めの悪さが出る。

頭が高いってねぇ、高いのはそっちの丈でしょうが。
私はもっとこんな構図で、こんなイメージの写真をだねぇ云々。。。

仙石原のススキ草原
っていうから
もっとこう、万葉集的かと思ってたけど

世話好きの話好きで
フランクなススキたち
というギャップが面白かった。

そばにいる夫をチラッとみて
待たせてちょっと悪いなぁと思った。

その都度、
一緒に立ち止まってくれる
この人は私の家族なんだ


背中を見てしみじみ思う。

もう写真はいいや。
上手く撮れないの。
待っててくれてありがと。もう戻ろう。
戻ってソフトクリーム食べる?笑

そう言いながら
深く息を吸う。

土と草の香りが胸いっぱいに広がる。

おしゃべりなススキの皆さま
映えないなりに精いっぱいの写真


何がなんでもこうしたい!
こうじゃなきゃイヤ!

そんな気持ちで没頭する時期は
あって良いけれども

夢中なあまり
大切な人や、大切なものを見失うことは
したくないな、と思う。

顔を上げて立ち止まる
空を見上げて
はぁ〜っと深呼吸する

そして微笑む。
ありがとうって言う。

当たり前のような小さなことを
大切にできる人でありたいと
改めて思った。

夕方の風に揺れるススキが
たおやかで綺麗だったから
そっと動画におさめた

ススキからはもう
何も聞こえなかった

草原から戻って
夫と分け合って食べたソフトクリームは
2人で食べた中で1番美味しかった

独りでいた時も
子供の頃も

もしかするとずっと前から
草木や空の話し声を聞いて
お勉強していたのかもしれない

いつの間にか
そのことを忘れ

あるいは
当たり前すぎて気づかずに
生きていた

迷いながら生きる中で
少しずつ要らないものが出て
少しずつ手放しているうちに

心の声と同じように
草木や空、モノの声なき声が
聞こえる気がすることに気づいた。

今流れが変わった!
という時流を感じるようになり

そのたびに
後押しがあった。

・大切なものを見失っている気がする
・本来の自分を思い出し、のびのびと生きたい
・誰かに聞いてもらいながら整理したい
・安らかに繁栄する人生を歩みたい

カウンセリングを受けるほどではない
かといって
身近な人に話しても、へー・・・って言われるだけで進まない気がする。

そんな思いがある時に
お役に立てるかもしれません。

まずは私と2人で
ゆっくりお話しを聞かせてください😊
それだけで十分な方もいらっしゃるので。

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