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【映画】マイ・ブロークン・マリコ

『マイ・ブロークン・マリコ』を公開日初日に観に行った。ポスターとコピーと予告映像を見て、私が好きそうな映画だ、と思った直観は裏切らなかった。

ある日、ブラック企業勤めのシイノトモヨ(永野芽郁)を襲った衝撃的な事件。それは、親友のイカガワマリコ(奈緒)がマンションから転落死したという報せだった――。彼女の死を受け入れられないまま茫然自失するシイノだったが、大切なダチの遺骨が毒親の手に渡ったと知り、居ても立っても居られず行動を開始。包丁を片手に単身“敵地”へと乗り込み、マリコの遺骨を奪取する。幼い頃から父親や恋人に暴力を振るわれ、人生を奪われ続けた親友に自分ができることはないのか…。シイノがたどり着いた答えは、学生時代にマリコが行きたがっていた海へと彼女の遺骨を連れていくことだった。道中で出会った男・マキオ(窪田正孝)も巻き込み、最初で最後の“二人旅”がいま、始まる。
映画『マイ・ブロークン・マリコ』公式サイトより https://happinet-phantom.com/mariko/

大切な友人の死と、旅と、残された者の生活。これらは、「やがて海へと届く」とも重なるモチーフだ。よくよく考えてみれば、この2つの映画はよく似ている気がする。どちらにもそれぞれの良さがある大好きな映画だ。

よく似ているにもかかわらず、私が『マイ・ブロークン・マリコ』を観たときに既視感を覚えなかったのは、登場人物たちの浮世離れしたキャラクターやコミカルさ、暗い過去、「遺骨を奪い取る」というセンセーショナルな展開があったからだけではないと思う。

『マイ・ブロークン・マリコ』では、親友の2人が自分よりも何よりも、お互いのことを一番大切に考えているのだということを色濃く感じたのだ。

救いようがないと思える日常の中で、シイノとマリコのお互いの存在は毛布のようなものだったのかもしれないと思う。いつでもあたたかく包み守ってくれる。放っておいてくれるドライさも持ち合わせる。
そんな相手がいなくなったらきっと生きていけないと信じていた世界は、突然あの子がいなくなっても何事もなかったかのように回り続けるし、自分も生き続けてしまえる。その事実は受け入れがたい。人間は強いんだか弱いんだかわからない。わからないけれど、シイノは生きていかなければならないという事実を胸に、日常に戻っていく。マリコの記憶と言葉と共に。

シイノとマリコをつないでいるものは何なのだろうか。友情とも愛情とも慈悲とも違うし、それらすべてのような気もする。私に、そこまで強いつながりを感じられる相手がいるだろうか。これから出会えるのだろうか。

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