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人を消費する街【TOKYO】

日本の大都市:東京
地方出身者が夢をつかもうとこぞって上京しがたる、そんな街。でも私は「人を冷たくする街」だと感じている。もちろん人それぞれではあるが。


【初めて1人で東京に行ったあの日】
今年の7月の終わり、私は初めて1人で東京に行った。インターンシップに参加するためである。東京はJRやら東京メトロやらいろんな路線があるという知識はあったので、事前にとっても調べた。田舎者丸出し。

東京駅に着き、東京メトロ丸ノ内線に乗り換えなければならなかった。それはそれはもう私にとってその日最大の試練だった。
「東京駅 丸ノ内線 乗り換え」と検索し、何度も写真を見ながらイメージトレーニングをした。正直、めちゃくちゃ不安だった。
いざ電車から降りたら、本当に分からなかった。あんなに見た写真と同じ掲示板を探すだけで精いっぱいで、人は多く、立ち止まってもいられない。とりあえず改札を出ようと人の流れに乗って歩いた。
そして誰かに聞こうとあたりを見渡すも、駅員さんは近くにいない。

「す、、」

それしか発することができなかった。私が人見知りだとか、そういうことではない。誰も止まってくれない。見向きもしてくれない。
まるで私はそこに存在しないかのようだった。

結局、自力で乗り換えをし、何とか会場についた。正直な話、来るだけで力を使い切り、インターンシップに全力を注げなかった。
でも、あっという間だった。一緒に参加していた学生は気さくに話してくれたし、企業の方もとても親切に接してくださった。
プログラムが終わり、会場を出た瞬間、会場であんなに笑っていた人とは別人のように「お疲れ様です」と言われた。(うわぁ、就活ってこういう感じなのかな)と実感し、一気につらくなった。
でもそれ以上に、ここからまた帰らなきゃいけないことにつらい気持ちがあった。

会場の最寄り駅から東京駅まで行き、切符を買ってホームに向かおうとしていたその時だった。
点字ブロックに大きなキャリーケースのコロが引っかかって困っている年配の女性がいた。私はとっさに「大丈夫ですか」と声をかけ、一緒に押した。その横を通り過ぎたスーツ姿の40代くらいの男性が「邪魔だよ!」と舌打ちのようなため息のようなものを混ぜながら、小走りで通り過ぎて行った。そのほんの数秒後に、女性のキャリーケースは段差を乗り越えた。彼女は「すいません、ありがとうございます」と笑顔で言った後、「東京にもあなたのように優しい方がいらっしゃるのね」と私の目を見つめて言った。
そのとき、なにかがワッと浮かんだ気がした。


この日を境に、東京では就職したくないと感じた。
あの時、私たちの横を通った男性がどこで生まれ、どんな生活をし、あの時どこに向かっていたかなど、知るすべもない。もしかしたら、仕事で取引先に向かっていたかもしれないし、母親が危篤で病院に行くところだったかもしれない。でも、あれはどうなんだろう、と感じてしまった。
「誰かが困っていたら、助けてあげなさい」と小学校で習わなかったのだろうか。義務教育を卒業していないのだろうか。どちらも否だろう。
では、なぜ彼はあんな態度をとったのだろう。

これはあくまで私の見解だが、【東京】という街が彼をそうしたのだろうと思った。気づけば、東京に行って、人の親切に触れた瞬間があっただろうか。あの時、男性に言われた言葉に憤慨していた時も、今こうして冷静にパソコンに向かってキーボードを打っている瞬間も、思い返してみれば、一秒たりとも感じなかったことに驚いた。
もちろん、東京にいる人すべてが「冷酷だ」というわけではない。ただ、少なからず、地方から夢を追いかけて上京した人々の中で、「冷たくなった」人間は山ほど、数えきれないほどいるだろう。

インターンシップに行って、(この会社おもしろい)と感じたが、(東京で生活したくない)とも思った。
私のこの感情を、東京で生活したら失うかもしれないと直感した。東京で働いて、自分のキャリアを築くより、私は今のままの自分でいたいと思った。

彼が、いや、彼らがどうして困っている人に手を差し伸べられない人になってしまったのか、その理由は東京が「人を消費する街」だからだろう。
毎日、満員電車に揺られ、歩くスピードも周りに強いられる。それだけ考えても、かなり消費、消耗されている。

環境が人に与える影響は多大なものである。
しかし、人間は自分の意志で自分の体を動かすことができるのだから、環境も選ぶことができる。
私は「東京」を選ばない。