魔笛カーテンコール1

オペラ演出を100倍楽しむ方法

久しぶりの更新となります。オペラ「蝶々夫人」が落ち着きましたので、今回は2回に渡ってオペラのこと、オペラ「蝶々夫人」の演出のことについて語ってもらいます。

オペラは眠い


「今度はオペラか…… 正直、見てると眠くなるんです、僕」

「実は俺も、中学の時 日比谷公会堂で初めてチケットを買って見た和製オペラで、開演3分後から終演までぐっすり寝たよ」

「え? 休憩時間も?」

「そう。終演後、お客さんが帰った後、係の人に起こされて」

「亞門さん、それは恥ずかしい……」

「いびきをかいてたかもしれないと思い、情けなくなって急いで立ち去ったよ。それがトラウマになって舞台なら全てに興味があったけど、オペラだけは周りの人に迷惑がかかると思って行かないようにしてた。ところが、26歳の時、ロンドンで僕は開眼したんだ」

「来た! 大げさな展開」

「ロンドン遊学で、恐る恐る見たオペラは、ENO(イングリッシュ・ナショナルオペラ)で上演されたヴェルディー作曲の「リゴレット」。聴いたことがあるアリアがあったのもあるけど、演出には度肝抜かれたよ。

「原曲の設定は16世紀イタリアのマントヴァ公爵邸から始まるんだけど、この版は現代アメリカで、マフィアのボスの家」

「何それ(笑)」

「それに誰でも一度は聴いたことがあるだろうアリア「女心の歌」は、なんと居酒屋ではなく、パブのジュークボックスから聞こえてくる設定なんだ。

色男のマントヴァが、ジュークボックスに金を入れるが、曲が鳴らない。なので彼は苛立って足で蹴る。すると、オケピからオーケストラがあの名曲アリアの前奏曲を奏でるってわけ! イカしてないか? 観客はその遊びに大喜び、歌手も楽しんで歌い、アリアの拍手は鳴り止まなかったよ」

「クラシックファンに怒られないんですか?」

「この演出をしたのが演劇畑から出たジョナサン・ミラー。これ以来オペラ界で最も多忙で人気ある演出家になったよ。彼の演出は、ただ面白がらせたかったというのではなく、現代設定と色男のマントヴァの気持ちが見事にフィットしてて、100年以上前に作られたオペラが見事に現代版になってよみがえったんだ。

それからだ、僕がオペラにハマったのは。ロンドンに居た2年間僕は、オペラ、ミュージカル、芝居合わせて700本近く観た。もちろんオペラは、チケットが高額だから、いつも天井桟敷のみ。それでも高かったから、何度も徹夜して当日早朝に出る、余った格安券を買うため、よく並んだよ」

「すごい数! でも2年間って365×2=765日で、毎日1本? 休演する曜日もあると思うけど?」

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ロンドンに遊学している間に観劇したものを、何冊もの日記にギッシリと書き留めている。感心したことや、良くないものに対して、自分だったらこうすると、いつか演出するためを想定したアイディア帳にもなっている。

「でも1日にマチネとソワレがある演目もあるから。1日2本ハシゴした。それぐらい引き込まれる面白さが舞台にあったんだ。

特にオペラは、ミュージカルと違って歴史が深い。ハマったら抜け出せない面白さがあって、上演を重ねてきただけあって、魅力が満載なんだ。どうしてもオペラは『クラシック音楽』と言うジャンルに閉じ込められがちだけど、だいたい創作された当時は誰も『クラシック=古典』なんて思って作曲してなかったわけで、当時、最も新しく、斬新で、人の心を打つ作品を創りたかっただけ。

今も、そんなオペラを『クラシック』と言う型にはめるのは、正直、もったい無い。現に、今もヨーロッパではオペラほど新しい! と興奮する若い観客が増えている。新作もどんどん作られているし、全編ライブ音楽✖️物語のスタイルはこれからも増えるよ」

「とはいえ、まだまだ敷居が高い(チケット代も)イメージなんだけどなぁ……」

「そうだね。だからこそ、オペラでも過去の名作を上演する際も、博物館のガラスの向こうに大切にしまって置く必要はなく、今こそ現代人に見せても感じられる、壮大さ、大胆さ、カラフルさが詰まっていると感じるんだ。だから僕はオペラがとても贅沢で素敵なジャンルだと思う。今やオペラは、若い人にも訴えかけるもの。チケットも学生は映画館並みに安いのもあるし。ブーイングやブラボーの嵐が同時に起こる熱いライブ空間は是非、体感してもらいたいな」

「やっぱり一番熱いのは亞門さん(苦笑)」

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モーツァルトのオペラ「魔笛」(2013年)では、RPGのコンピューターゲームに入り込んだという大胆な設定で演出。オーストリアのリンツでも大絶賛を浴び、4万人動員した。2015年の日本版はさらに進化し、舞台上にあるQRコードを読み込むと、亞門版「魔笛」のゲームがダウンロードされ、上演後も楽しめるようにした(ロンドンのPocket Gamer Awards2015にて三部門の賞を獲得)。

カミングアウトします


「オペラってずーっと音楽が流れっぱなしなんでしょ。どうやって演出するんですか?」

「まず、台本がないんだ、カウント表も。あるのは楽譜だけ。分厚い楽譜でね。手で持って演出してると腱鞘炎になるよ。
で、カミングアウトをすると……実は、俺は譜面が読めないんだ」

「えー、ウソ!!! ウソでしょ。僕だって読めますよ」

「そりゃ凄い!ピアノでも習ってたの?」

「まさか。小学生で習うでしょ。子供だって読める。音楽の授業で習わなかったんですか?」

「俺、音楽の先生の教え方が、嫌いだったんだよ。変に教養臭くてさ! 音楽の父がバッハで、音楽の母はヘンデルとか…… だいたいヘンデルって男でしょ。それに音楽室の入口に彼らが額に入って飾られてるのに、バロック音楽聞かせてくれないし」

「それって昭和の学校でしょ。今は違いますよ。それに、先生が嫌いなのと、楽譜が読めないのは違うし」

「それは言える。実は、今でも譜面を見てると、音楽の高鳴りと冷静な譜面の流れが、自分の頭の中でずれてきちゃうんだ。頭と身体の高鳴りが合わないと言うか…… 音楽を聴いて身体が興奮して自由に動き、感動で涙すら出るのに、譜面を見てると冷静さで心が冷え込むというか。でも、これは単に譜面の勉強が足りないだけだと思う。ある演出家は譜面を見ているだけで涙が出ると言っている。僕から見るとかえって不思議だけどね」

「亞門さんは単純だから、身体や感性で音楽を感じて演出してるんでしょうね」

「まあ、俺は俺のやり方で、作曲家が初めて心の中で浮かんだ世界観を共有できればと願ってるんだ。作曲ってまず、メロディーやリズムが、何かが頭や身体でイメージできるんじゃないかな。それを書き留めるために譜面が必要になる。俺はそう自分に言いきかせ「これ以上、譜面を勉強しなくていいよ」と自分を慰めるんだ」

「幸せな人ですね…… まあ、それだけ想像力が自由に広げられるってことかもしれないけど」


新しい視点を! でも不自由な、オペラ


「でも、名作オペラの演出は、他のどれよりも、演出家にとって不自由な創作なんだ」

「不自由? どうしてです?」

「楽譜がバイブルとも言えるオペラは、歌詞も、曲も、ほとんど変えることはできない。芸術監督からは、新しい視点や解釈で作品を作ってくれと頼まれるけど、オペラは音楽や歌詞が絶対。最も大切な音楽、テンポ、世界観を聴覚でまとめ上げるのは、指揮者であるマエストロの役目。演出家はそこ以外を担当するしかない」

「指揮者にテンポとか言えないんですか?」

「基本的にはNO!   時には演劇的に理解ある指揮者なら対等に話せるが、ほとんど難しい。指揮者と演出家が大喧嘩になって失敗した作品もあるし、それぞれの領域を尊重しなくてはならない。でないと間に挟まれた歌手たちが一番可哀想だからね。もちろん指揮者から見たら『こんなに歌手を動かせて。もっと声だけを聞かせたいのに』なんて思っていた指揮者も多いんじゃないかな。特に俺の演出の場合。だからお互いに忍耐が必要なわけだ。でもその分、忍耐が尊敬に変わって凄い作品に仕上がることもあるし、ケースバイケースだね」

「そんな大変な中、亞門さんはオペラを作る時、何を大切にしてるんですか?」

「やっぱり音楽。それにそれぞれの役柄が嘘のないように生で舞台上に存在することだ。ステレオタイプ的な悲劇だから悲しくやればいいというわけじゃない。現代人が見ても感じられ、共鳴できるキャラクター設定。そして音楽が奏でている美しさ、恐ろしさ、愛おしさ、悲しさが自然に融合していける作品。それが指揮者と演出家が共に目指していく目標だと思っている。

ただ古典だけを聞きたいなら、誰にも邪魔されず、見事な録音を一人で聞けばいい。わざわざお客様は劇場にライブを聞きに来て、今の時代に見るべきもののために来てくれると俺は思っている」

一度も心を動かされなかった、オペラ「蝶々夫人」


「では、いよいよ今回のオペラ『蝶々夫人』に入りますか? プッチーニの世界観、うまく出せたと思います?」

「正直、めちゃめちゃ辛かった。音楽に合わせていくのに、これほど苦労したオペラ作曲家は初めてだ」

「え!? あのメロディがキレイなプッチーニが? 世界で最も有名な日本のオペラ『蝶々夫人』ですよ?」

「はっきり言います。今まで国内外8バージョンぐらい『蝶々夫人』を観たけど、一度も心を動かされたことはなかった、って言うか、いつもムカついてた」

「ヒエー! 問題発言!」

「演出のことを言ってるんじゃない、元の原曲が原因。19世紀のジャポニスムからの影響なのか、何とも耐えられない、男性からの理想像過ぎる日本女性の描き方や、自決で高鳴る終幕。それに無責任すぎるピンカートンのアメリカ人の描き方に、嫌悪感があったからだ」

「なら、どうして演出するって決めたんです? それもそんなに規制が多いオペラ演出で、なんで嫌悪感さえ感じる作品を引き受けたんです?」

「そこだよ! 好きだから演出するだけじゃない。いや、むしろ好きじゃないから、かえって一段と熱くなり、好きじゃないなら『自分が好きになれるように変えて見せる!』と思うんだよ!これが俺の演出家魂。」

「激アツ。つまり、文句言わずに耐えて頑張ったってこと?」

「いや、周りにプッチーニへの文句を大声で言い続けた。でも、その分、自分に責任を沢山負わせて、もがいて、もがいて、創ったんだ」

「周りに居る人達は大変だったでしょうね、想像つきます」

「本当に」

最初は冷静に話していた 亞門さん、また熱が入ってきました。 
 
歌手やオケ、指揮者の組み合わせ。そして古いものを演出の力で劇的に解釈すると、オペラの楽しみが100倍にも、マイナス100倍にもなる。それがオペラの醍醐味であり、酷なところなんですね。
さて、次の回はオペラ「蝶々夫人」の波乱万丈・制作秘話です。噂では初日4日前に、照明家がいなくなったとか……
初日まで波乱万丈の制作過程を、次回ご紹介します。


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